PSVアイントホーフェン

PSVアイントホーフェン

Eindhovense Voetbalvereniging Philips' Sport Vereniging

名前の通りサッカー以外に17のスポーツ部門を持ち、PSV Zwemmen en waterpoloからはアテネ五輪の金メダリスト、ピーター・ファン・デン・ホーヘンバントやインヘ・デ・ブルーイン選手を排出した。以下はサッカーについて記述。

オランダ、エールディビジ所属のサッカークラブチーム。略する場合はPSV。本拠地はアイントホーフェン。ノール・ブラバント州。

創設は1913年。フィリップス社で働く社員のスポーツクラブとして結成された。


チームカラー:赤、白

ホームスタジアム:フィリップス・スタディオン Philips Stadion (収容人数 36,000)

愛称は労働者の為に作られたチームであることから「Boeren」。またフィリップスで作られる電球から「Gloeilampen」

メインスポンサー:Philips Koninklijke Philips Electronics N.V.

ちなみにフィリップス社の本社機能は1997年、アムステルダムに移動を開始し、2001年に移動は完了した。

ユニフォームサプライヤー:Nike

会長(Voorzitter van de directie):ロブ・ヴェステルホフ R.M. Westerhof

広報及び財務担当(Directeur commerciële & financiële zaken):R・リベルス R.E.M. Ribbers

テクニカルディレクターおよび監督(Technische Directeur en hoofdtrainer):フース・ヒディンク Guus Hiddink

S.V会長(Voorzitter):ハリー・ファン・ラーイ H.J.M. van Raaij

S.V副会長(Vice-voorzitter):F・シュイテマ F. Schuitema

人事担当(Penningmeester):D・スナイデル D. Snijders,

会長室担当(Secretaris):R・ヴェルカイク R. Verkerk

コーチ(Trainer):フレッド・ルッテン Fred Rutten

        レーネ・エイケルカンプ René Eijkelkamp

GKコーチ(Keeperstrainer):ユップ・ヒエール Joop Hiele

獲得タイトル

リーグ優勝:18回 (1929,1935,1951,1963,1975,1976,1978,1986,1987, 1988,1989,1991,1992,1997,2000,2001,2003,2005)

カップ優勝:8回 (1950,1974,1976,1988,1989,1990,1996,2005)

チャンピオンズカップ優勝:1回(1988)

uefaカップ優勝:1回(1978)

ライバル

オランダリーグで鎬を削るアヤックス、フェイエノールトとの試合では激しい応援が繰り広げられる。3強と言われる中ではアイントホーフェンという都市は地理的に強みがない。ましてフィリップスの本社もアムステルダムに移転。

概略

98-99シーズン、ディック・アドフォカートに替わり、イングランド人ボビー・ロブソンが監督に就任。ルート・ファン・ニステルローイ、ルカ・ニリスの2トップは52得点を稼ぎ出したが、中盤はドミトリー・ホフロフ以外固定できず、加えて守備が55失点と崩壊。フェイエノールトに独走を許し2位で終わる。

翌99-00シーズンから新監督に元ベルギー代表のDFで、クラブ・ブルージュの監督であったエリック・ゲレツが就任。中盤にマルコ・ファン・ボメル、ヨハン・フォーゲルが加入。安定した中盤からファン・ニステルローイが終盤に右膝靱帯断裂で離脱したが29得点を稼ぎ出し、総得点105を稼ぎ出す強さでリーグを制する。

00-01シーズン、ニステルローイがケガでシーズンを棒に振ったが、新戦力のFWマテヤ・ケジュマンが得点王となる24得点を稼ぎだし、中盤にはデニス・ロンメダールが台頭、堅守は2シーズン連続続き23失点と堅く2連覇を達成。翌01-02シーズン、新戦力、ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンクが22得点の活躍をしたが、アヤックスの後塵を拝し2位に終わる。ゲレツは退任した。

ゲレツの後任に迎え入れられたのはかつてPSVを率いて欧州制覇を果たした元オランダ代表監督、フース・ヒディンク。攻撃的サッカーを得意とする戦術の中でアリエン・ロッベン、ロンメダールのウイングから、フェネホールがタワーとなりケジュマンが35得点を獲得する働きを納め、加えてアンドレ・オーイェルを中心として守備は20失点という堅さを見せ、アヤックスとの直接対決を2度制し、勝ち点1差でアヤックスで振り切りリーグ優勝を果たした。

翌03-04シーズン、チャンピオンズリーグにおいて9度目にして初の決勝トーナメントの可能性が生まれる。しかし第6節のホーム、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦にて2-0から2-2に追いつかれ当該成績に於けるアウェーゴール2倍ルールによってグループリーグ3位となり進出は夢と散る。リーグではウィンターブレイク明け、堅調な攻撃陣に比して守備陣の整備に手間取って調子を落としアヤックスに差を付けられた2位に終わる。

04-05シーズン、このシーズンからヒディンクはテクニカル・ディレクター兼任となる。ケジュマン、ロッベン、ロンメダール、ヴァーテリュースを放出し期待の薄い中でスタートを切るが、フィリップ・コクーがPSVに復帰。フォーゲル、ファン・ボメル、コクーの3人を中心とした4-3-3を構成。前線をフェネホール中心に新加入ジェファーソン・ファルファンとパークが絡み、懸案の守備にはセンターバックにアレックス、ゴールキーパーにゴメスがしっかりと収まって18失点の堅さ。シーズンたった1敗の強さでリーグを制覇、カップとの2冠を果たし、チャンピオンズリーグでは10年目にして初めての決勝トーナメント進出。ASモナコ、オランピック・リヨネーを下し、準決勝でACミランと対戦。アウェーで0-2と落とした後、ホームで2-0と追いつき、マッシモ・アンブロジーニのゴールで敗れるも、最後にフィリップ・コクーのゴールで一矢報いる姿に感動を覚えさせられた。

05-06シーズン前、アンドレ・オーイェルだけはジェノバの財政問題で復帰したが、ファン・ボメル、フォーゲル、パーク、リー、ボウマ、ベケルンドとまたも大量に移籍。ヒディンクはPSVのポジションに加え、オーストラリア代表監督に就任。チーム力の低下がささやかれたが、小粒ながら堅実な補強、加えてイブラヒム・アフェライ、イスマイル・アイサティ等若手が台頭、チャンピオンズリーグで再戦したACミラン相手に、サン・シーロでもフィリップシュタディオンでも完璧な守備戦術を施行、ホームでは1-0と勝利を収めた。

個人評

続きを読む

* はてなダイアリーキーワード:PSVアイントホーフェン