ルドビク・ジュリー

ルドビク・ジュリー

Ludovic Giuly

非常に読み方が悩ましい。英語で統一的に読むとルドビク・ジウリーである。iuの読み方がフランス語に殆ど皆無の状態。ただ現地放送でジウリーとは聞こえずジュリーが多い。Ludovicはフランス語としてはリュドヴィクのほうが聞いた感じ近いが、日本人的にはルドビク、ルドヴィク、もしくはLudwigルートビックのほうが言いやすい。

1976年7月10日 リヨン生まれ 164cm・62kg

所属クラブ

1994-1998 オランピック・リヨネー

1998-2004 ASモナコ

2004- FCバルセロナ

概略

ボジョレー地方の小さなクラブでサッカーを始め、1990年にリヨンの育成機関に入団。94-95シーズンに認められトップ昇格、1995年1月21日カンヌ戦でデビュー。翌95-96シーズンから右サイドの主力選手として36試合に出場4得点、96-97シーズンは37試合に出場16得点を挙げるクラブは高い順位とは行かなかったが、ギー・ステファン監督下、記憶に残る活躍をした。1998年1月に93-94シーズンまでリヨンで監督を務めジュリーを高く評価していたジャン・ティガナが監督をしているASモナコに移籍。

ダヴィド・トレゼゲ、ティエリ・アンリ、ヴィクター・イグペパの3トップの下からサポートする右のハーフとして活躍、アンリがユヴェントスに移籍をすると自らウイングの位置に立つこともあった。

99-00シーズン、クロード・ピュエル監督下、マルセロ・ガジャルドを中心とした素晴らしい中盤を右ハーフとして形成し優勝を果たす。しかし、得点王だったトレゼゲが抜けた01-02シーズン、自身は30試合に出場と気を吐くも、11位と低迷。

新監督にディディエ・デシャンを迎えた01-02シーズン、キャプテンに任命され活躍を期待されたが、ケガで11試合の出場に止まりチームも15位に終わった。復活した02-03シーズン、ルーカス・ベルナルディ、ラファエル・マルケスと優秀なディフェンシブハーフに支えられ、左サイドのジェローム・ロタンと共に中盤の右としてドリブルからのサイドアタックを武器に11得点も決めチームを2位の順位に押し上げた。03-04シーズン、チャンピオンズリーグとの併用の中、フェルナンド・モリエンテスの1トップに高い位置で攻撃に絡む器用な活躍を見せ、決勝トーナメント準々決勝、レアル・マドリード戦ではレアルをたたき落とすヒールキックでの見事なシュートなど、大きな活躍を見せ、決勝に進出。ところが決勝ではFCポルト、GKヴィトール・バイアとの接触によって前半早々に交代してしまい、チームも3-0と敗戦。リーグアンも最終節にオランピック・リヨネーに逆転されてしまい2位に終わる。

2004年、スペインのFCバルセロナに移籍、バルサでは4-3-3の右ウイングとして活躍。速い展開のリーガ・エスパニョーラの初年度において能力を発揮、ドリブルで切れ込んでシュート、FWとしてポジションを巧く見つけてシュートなど29試合に出場11得点と、リーガ優勝の一因となった。

フランス代表としては、2000年3月29日、スコットランド戦でデビュー。モナコでの活躍が認められ2003年、コンフェデレーションズカップのメンバーに選ばれ、2004年の欧州選手権のメンバーにも選ばれたがこちらはケガによって辞退せざるを得なかった。レイモン・ドメネシュ監督が就任して以降、度々レ・ブルーの一因として出場している。

個人評

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