ルイス・フィーゴ

ルイス・フィーゴ

Luís Filipe Madeira Caeiro Figo ポルトガル人サッカープレイヤー

1972年11月4日 リスボン、アルマダ生まれ 180cm・75kg

所属クラブ

1978-83 オス・パスティアス(ポルトガル)

1983-95 スポルティング・リスボン(ポルトガル)

1995-00 FCバルセロナ(スペイン)

2000-05 レアル・マドリード(スペイン)

2005- インテル・ミラノ

個人タイトル

2000年 F.F誌選出 欧州年間最優秀選手(Ballon d'or)

2000年 W.S誌選出 世界年間最優秀選手

2001年 FIFA選出 世界年間最優秀選手

概略

オス・パスティアスで非公式のサッカープレイヤーとしてキャリアを始め11歳で名門スポルティングに加入する。トップデビューを果たしたのは16歳のとき。しかしながら彼がスポルティングのスターティングラインアップに名前を連ねたのは92-93シーズンからである。

94-95シーズンには22歳でキャプテンに就任、リーグ2位および81-82シーズン以来のタイトルであるポルトガルカップをもたらした。

95-96シーズン前、ユヴェントスとパルマに仮契約を交わしFIFAが介入。イタリアでの2年間プレーを禁じられる。スポルティングとの契約が切れた身であり、行く先がなかった彼を拾ったのがバルサである。バルサは彼を140万ポンドという破格のバーゲン価格で引き入れた。

バルサ監督のヨハン・クライフは攻撃的MFだった彼をウイングに配置。得意のドリブル、中に切れ込んでのシュート、巧みなパス、テクニックなどを見せる活躍を見せバルセロニスタを魅惑する。

96-97シーズンはドリームチームから新しく生まれ変わるシーズンでウイングとしての地位を完全に確立し、リーガ2位、カップ・ウィナーズカップ優勝を納めた。

97-98シーズンから左にリバウドが入り、右にフィーゴという素晴らしい攻撃陣を形成、リバウドは中に入ってプレーすることを好み、フィーゴは右サイドに配置されるが反対側に回って相手を切り崩したりするなど、カンプノウの広いフィールドを活かした攻撃をし、リーガおよびカップ制覇に貢献。創立100周年の翌98-99シーズンも34試合に出場、7得点と活躍しリーガ連覇を果たす。

99-00シーズン、リバウドが思うような働きが出来ていない中で、フィーゴはしっかりと活躍を見せ32試合に出場9得点を決める活躍をしたが、チームはデポルティーボ・ラ・コルーニャに追いつくことができず2位に終わった。

2000年、レアル・マドリードの会長選挙において、7月6日フロレンティーノ・ペレス公約として「1年に1人、スター選手を獲得」ということを言う。最初のターゲットがフィーゴであることも発表される。7月7日に当時会長のルイス・ニュネスが契約更改を中断。フィーゴは7月9日「バルセロナに残留することが私の願い。」と会見をする。7月15日には「ファンには私が口にすることだけを信じて欲しい。」と2度目の会見を行う。7月17日にペレスが新会長に就任。7月23日に移籍金110億ペセタ=5610万ドルでレアル・マドリード移籍が決定。「レアル・マドリードにこれて私は幸せです。」との会見を行う。この行動によってバルセロニスタに「ユダ」呼ばわりされることとなる。背番号はバルサで着けていた「7」がレアル・マドリードのエース、ラウル・ゴンサレスと競合し、どうなるかと言われていたがフィーゴは「10」を選んだ。

00-01シーズン、当初は機能するのに戸惑ったが、フィーゴが機能し出すとメレンゲスは非常にパスが流れ、個人の動きが煌びやかな美しいサッカーを繰り広げ、圧倒的にリーガ制覇を果たす。彼がカンプノウに戻ってきたエル・クラシコは非常に騒然とした雰囲気だった。創立100周年の01-02シーズンにジネディーヌ・ジダンが加入。世界的なスター選手2人が中盤を支配する戦術の中でリーガ3位、カップは準優勝となったが、チャンピオンズリーグ優勝を果たした。

02-03シーズンは、ジダンとのコンビがさらに円熟し、リーグ優勝を果たした。このシーズンのエル・クラシコで彼がコーナーキックに蹴りに行くとカンプノウのファンからカン、ビン、ブタの頭やら、大量のモノの投げ込みが為される。そんな中で彼はコーナーキックをゴールに向かって蹴り込みGKは弾いて外に出すのがやっとだった。すると2本目のコーナーキックを蹴りにいった瞬間にまた大量のモノが投げ込まれ試合が10分中断することになった。(蹴らせたビセンテ・デル・ボスケが凄い)またチャンピオンズリーグでも素晴らしい活躍をし、決勝トーナメント準々決勝、サンチャゴ・ベルナベウでのマンチェスター・ユナイテッド戦で素晴らしいループシュートを決めた。彼はこれをベストゴールに挙げている。レアルは準決勝でユヴェントスに敗れた。

03-04シーズン、マンチェスター・ユナイテッドからデビッド・ベッカムが新加入。同じ右サイドを得意とするプレイヤーの競合という中で、新監督に就任したカルロス・ケイロスはフィーゴを左に配置したが機能せず、最終的にはベッカムがセンターハーフに入り、彼は右サイドに落ち着いた。しかしチームは崩壊。リーガで4位。チャンピオンズリーグもベスト8で敗退してしまい、無冠に終わった。

04-05シーズン、シーズン途中から就任したヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督が就任、新加入のトーマス・グラベセンがボランチに入り、ベッカムが右に移り、フィーゴがトップ下に配置された。マイケル・オーウェンがFWに入るとラウルがトップ下にポジションを取り、フィーゴがベンチを温めることも多くなった。

05シーズン前、レアル・マドリードを去ることを決意。2年契約でイタリアのインテル・ミラノに移籍。背番号7を着け、再起にかける。


代表としては、U-16欧州選手権で優勝をし、1991年マヌエル・ルイ・コスタ、ジョアン・ピントらと共にワールドユース優勝を果たす。監督はスポルティング時代に彼を発掘したカルロス・ケイロス。

A代表としては1991年12月10日、ルクセンブルク戦でデビュー。公式戦としては1996年の欧州選手権で4試合に出場。クロアチア戦で素晴らしいミドルシュートを決めるなどゴールデンエイジの若い活躍を繰り広げた。1998年のW杯欧州予選ではドイツに蹴落とされ予選敗退。2000年の欧州選手権ではキャプテンとしてチームを引っ張り、イングランド戦では逆転の足がかりとなる1点目を決めたが、準決勝の疑惑のPKに泣きフランスに破れた。

2002年、W杯に出場。マカオでの合宿という悪コンディションに苦しみ、初戦のアメリカ戦を落とし、チームはグループリーグで敗退。フィーゴはグループリーグ最終戦で「引き分けにしよう」と声をかけたなどと疑惑をかけられた。

2004年、母国開催の欧州選手権。開幕戦に敗れた中で、第2戦以降キャプテンとしてチームを鼓舞した。しかし準々決勝のイングランド戦ではアンタッチャブルと思われていた彼が交代させられる場面もあった。決勝まで進んだが、開幕戦に続きギリシャに先制され、後半終了前にバルササポーターの闖入によりマフラーを投げつけられるハプンングに遭う。その数分後左足の惜しいシュートを撃つなど強靱な精神力を見せたが準優勝に終わった。

大会が終わった1ヶ月後の8月18日にクラブでのプレーに専念するために「無期限の休息」なる代表引退を発表。その後クラブでの出場機会が減ったこと、母国の不調を理由に2005年6月4日に代表復帰を発表。W杯予選、天王山であるスロバキア戦に出場した。

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