リカルド・カルバーリョ

リカルド・カルバーリョ

Ricardo Carvalho 本名はリカルド・アルベルト・シルヴェイラ・カルバーリョ

ポルトガル人サッカー選手  1978年5月18日生まれ。183cm 79kg。

ポジションはディフェンダー(センターバック)。

所属クラブ

1997-98 レサ(ポルトガル)

1998-99 FCポルト(ポルトガル)

1999-00 ヴィトリオ・セトゥバル(ポルトガル)

2000-01 アルヴェルサ(ポルトガル)

2001-04 FCポルト(ポルトガル)

2004- チェルシーFC(イングランド)

概略

1997年レサにてデビューし、翌1998年にFCポルトに移籍する。しかし、ポルトでの試合出場はたった1試合に止まった(このシーズンポルトは優勝している)。翌シーズンからビットリア・セツバル、FCアルベルカとレンタル移籍し、トップリーグで通用する実力を証明し、2001年にFCポルトに復帰する。このシーズンの冬の移籍市場でチームのキャプテン、ジョルジュ・コスタがオクタビオ・マチャラ監督との確執によってチャールトン・アスレティックに移籍したのを機に出場機会を伸ばし、不動の地位を得た。

02-03シーズンから指揮官となったジョゼ・モウリーニョの元、復帰したジョルジュ・コスタとのコンビで国内リーグ、国内カップ、uefa杯の三冠を達成。翌03-04シーズンにはビッグイヤーを制覇。自身はチャンピオンズリーグ全試合フル出場を果たし、優勝に貢献した。

ポルトガル代表としては2003年10月11日アルバニア戦しか経験していなかったが、EURO2004直前の親善試合2試合(ルクセンブルク、リトアニア)に出場。本大会メンバーにも名を連ねた。(これによってスポルティング・リスボン、ベンフィカ・リスボン、FCポルトの所属選手数の陰謀で、ヴィトール・バイアが代表から漏れることになった、それをどう評価するかは歴史が決めるのだろう)

開幕戦にポルトガルがギリシャに敗れたことで、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督がゴールデンエイジであり、キャプテンのフェルナンド・コウトに替えて出場させ、以後決勝戦までの全試合フル出場し、チームの守備を安定させた。この後、コウトの出場は守備要員としての2試合だけとなり、代表を引退した。

2004年のクラブ、代表での活躍が認められ、UEFAの2004年最優秀イレブン、センターバック部門を受賞した。

2004年シーズン後、モウリーニョを追うように、パウロ・フェレイラとともにチェルシーFCに移籍。マルセル・デサイーの背番号「6」を受け継ぎ、フランス代表ウィリアム・ギャラスをサイドバックに追いやり、チェルシーではジョン・テリーとのセンターバックのコンビを組み、シーズン失点15という驚異的数字の要因となった。

個人評

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