ヤリ・リトマネン

ヤリ・リトマネン

Jari Olavi Litmanen フィンランド人サッカー選手

1971年2月20日 ラハティ生まれ 181cm・81kg

ポジションはフォワード

所属クラブ

1987-90 レイパス・ラハティ(フィンランド)

1991 HJKヘルシンキ(フィンランド)

1992 マイパ(ミリコスケン・パッロ)47(フィンランド)

1992-99 AFCアヤックス(オランダ)

1999-01 FCバルセロナ(スペイン)

2001-02 リバプールFC(イングランド)

2002-04 アヤックス(オランダ)

2004-05 FCラハティ(フィンランド)

2005 FCハンザ・ロストック(ドイツ)

2005- マルメFF(スウェーデン)

略歴

父オラフィ・リトマネンの影響で15歳からサッカーを始め、わずか19歳でフィンランド最優秀選手に選ばれる活躍をする。1992年にマイパで国内カップ制して、オランダの名門アヤックスに引き抜かれる。最初のシーズンは同じポジションに2年連続で得点王になっていたオランダ代表デニス・ベルカンプがいた都合、大きく活躍することはなかったがベルカンプがインテルに移籍した翌シーズンに26得点を挙げ得点王、チームは4年ぶりの優勝に輝く。

続く1994-1995シーズンはリーグに加えて、チャンピオンズリーグにおいても活躍。得点ランキング2位となる6点を稼ぎ、チームはアムステルダム・アレナにおいて7試合無敗で優勝を果たし、(決勝ではリトマネンに代わって入ったパトリック・クライファートがゴールを決めた)、国内リーグを含めた2冠を達成した。続く翌シーズンは決勝での1得点を含む9得点、決勝で自身はPKを決めるもののPK戦でユヴェントスに敗退。96-97シーズンはケガで離脱してしまうとアヤックス得意の3-4-3システムの核が無くなってしまい4位。翌シーズン復調すると16得点、リーグ優勝に導く。

1999年、アヤックスがビッグイヤーを獲得した時の監督、ルイス・ファン・ハールに請われてスペインのバルセロナに移籍。しかし、膝を故障してしまい大きな活躍はできず、2001年1月に自身憧れのイングランド、リヴァプールに移籍。ここでも膝の故障の影響で計9点とめざましい活躍をすることが出来なかった。チャンピオンズリーグにおいて挙げた素晴らしいゴールもバイヤー・レヴァークーゼンの逆転の前に露と消えた。

2002年、アヤックスに復帰すると、出場試合は多くなかったが貴重なサブの戦力として活躍。チャンピオンズリーグ、決勝トーナメント1回戦、サン・シーロでのACミラン戦では途中出場からゴールを決めて、絶頂期の姿を彷彿させる活躍をしたが、惜しくもこの試合でチームは敗退。

翌シーズンは足首の故障に悩まされ出場機会はたったの6試合、契約を解除されると2004年に12年ぶりにフィンランドに復帰。ところが6ヶ月でクラブを去るとドイツで降格争いをしていたハンザ・ロストックに移籍。しかし彼の尽力も虚しくクラブは降格してしまった。

2005年7月7日、「サッカー面の理由で選び」自由移籍でスウェーデンの強豪マルメと6ヶ月契約をした。「アヤックスとハンザ・ロストックで、スウェーデンの選手たちと一緒にプレーしたことがある。マルメでプレーするのを心から楽しみにしている。マルメは、上昇気運にある素晴らしいクラブ。チャンピオンズリーグのグループリーグ進出に貢献できればいいと思う」とのコメントを残している。

代表としてはあまり強くないフィンランドという国において96試合に出場し、25得点を見せている。しかしながらフィンランドが彼の在籍中に主要国際大会には出ていない。

個人評

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