フランク・ランパード

フランク・ランパード

フランク・ランパード・シニアFrank Lampard, Sr 1948~ および フランク・ランパード・ジュニア(フランク・ジェームズ・ランパード)Frank Lampard, Jr 1978~ イングランド人サッカープレイヤーの父子。

Frank Lampard Sr 

1948年9月20日 ロンドン、ウェストハム(ニューアム自治区)生まれ

所属クラブ

1967-85 ウェストハム・ユナイテッド(イングランド)

1985-86 サウスエンド・ユナイテッド(イングランド)

概略

選手時代

ウェストハムのアカデミーで育ち、レフトバックとしてロン・グリーンウッド監督下、19歳でトップデビュー。イングランドU-23カップにて優勝を納め、1972年ユーゴスラヴィア戦にてイングランド代表としてもデビュー。1975年のFAカップ優勝、1976年にはカップウィナーズ・カップ準優勝に輝いている。1978年に2部に降格した中でも残留し、1980年にはFAカップ優勝に輝き、生涯成績660試合出場、22ゴールの成績を残した。

その後、元ウェストハムのスターであった、ボビー・ムーアが監督を務めるサウスエンドへ移籍。1シーズンながら34試合に出場し、現役を引退した。

監督時代

1994年より義理の兄であるハリー・レドナップのアシスタントコーチとしてウェストハムで指揮を執った。2001年、レドナップがフロントと対立し解任されると、共にチームを去った。現在は息子であるジュニアをテレビ等で追う日々を続けている。

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Frank Lampard, Jr (Frank James Lampard)

1978年7月20日 ロンドン、ロムフォード(ヘイバリング自治区)生まれ 183cm 75kg

所属クラブ

1995-96 ウェストハム・ユナイテッド(イングランド)

1996-97 スウォンジー(イングランド)

1997-01 ウェストハム・ユナイテッド(イングランド)

2001- チェルシーFC(イングランド)

概略

Frank Lampard Srの息子として生まれ、叔父にハリー・レドナップというサッカーのサラブレッドの家系に生まれるも、父は息子の将来を考え5歳から名門Public schoolであるBrentwood schoolに入れている。(イングランドのサッカー選手ではかなり珍しく、本人もラテン語でAを取っている選手は自分くらいと言っている。現在はさすがにもう読めないらしい)

ウェストハムのトレイニーに入ったのは11歳の時、当初は親の七光りと揶揄され才能を評価されないでいたが、徐々に頭角を現し、95年コヴェントリー戦でプロデビュー、96年シェフィールド・ウェンズデー戦にてプレミア・デビュー。いったんはスウォンジーにレンタルされたあと、復帰して以後はレギュラーとして活躍を続け、98-99シーズンはプレミアシップ全試合出場を果たす。

01シーズン、ハリー・レドナップ監督およびフランク・ランパード・シニアコーチの解任により移籍を決意。1100万ポンドでチェルシーに移籍をする。移籍初年度から37試合に出場5得点の活躍を見せ、クラウディオ・ラニエリ監督の下、戦力が一新されたことを象徴する選手となった。翌02-03シーズン、「プレミアで最も美しいクラブ」と言われたチームのなかでセントラルハーフとして全試合出場を6ゴールを決め、ジャンフランコ・ゾラ以上の評価を得た。

2003年夏に、ロマン・アブラモビッチが新オーナーに就任。選手を大量補強した中でも、センターハーフとしてはクロード・マケレレとのコンビを確立。マケレレの献身的な守備の上、積極的に攻撃に顔を出すことも増え、10ゴールを決める活躍。年間最優秀選手賞では次点に輝いた。チャンピオンズリーグでは準々決勝、ハイバリーにおけるアーセナルとの第2戦で同点ゴールを決めるなどの世界的にも名を挙げる活躍をした。

04-05シーズン中に、ウェイン・ブリッジを抜き、プレミアリーグ連続試合出場記録を更新。ケガ人が続出した中で一人全試合出場を果たし、チーム最多の18ゴールを記録。優勝を決めたボルトン戦では2ゴールを決めるなどの活躍でチーム50年ぶりのリーグ優勝を果たし、記者の選ぶプレミアリーグ最優秀選手賞に輝いた。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦、FCバルセロナ戦にて貴重な2点目をたたき出し、準々決勝バイエルン・ミュンヘン戦ではホームで2点、アウェーでも1点をたたき出す活躍を見せ、準決勝リヴァプール戦では惜しいフリーキックなどもあったが敗れてしまった。

05-06シーズン、2年連続で準決勝で敗れたチャンピオンズリーグ制覇とプレミアリーグ2連覇を含むモウリーニョの4冠の野望を狙っている。


イングランド代表としてはU-21代表のキャプテンとして活躍し、ケヴィン・キーガン監督した1999年10月10日のベルギー戦にてデビュー。スヴェン・ゴラン・エリクソン監督になって以降、一目は置かれていたが、2002年のW杯のメンバーには招集されず、以後のクラブでの活躍により、2004年の欧州選手権を前に「ポール・スコールズかフランク・ランパードのどちらがセンターハーフとして相応しいか」の論争が起こる。結局、エリクソンはスティーブン・ジェラードを含む併用を選択。ランパードはフランス戦での貴重な先制点とクロアチア戦でのダメ押し点、および決勝トーナメントにおける延長後半の同点ゴールを決めた。(この30試合以上得点の無かったスコールズも得点が決まるなど成功に思われた選択だが、スコールズはこの大会を後に代表引退した)

06年W杯予選からジェラードとのコンビでセンターハーフの座を射止め、好調のイングランド代表を支えている。

個人評

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