フェルナンド・モリエンテス

フェルナンド・モリエンテス

フェルナンド・モリエンテス・サンチェス Fernando Morientes Sanchez

スペイン人サッカー選手 1976年4月5日 カセレス生まれ  184cm 78kg

概略

93年-94年シーズン、17才でアルバセテにおいてプロデビュー。翌1994年-1995年シーズン、20試合5得点の活躍を残し、レアル・サラゴサに移籍。U-20世界選手権では3位決定戦で敗れる。

95年-96年シーズンから2シーズン、66試合28得点の成績を残す。アトランタ五輪に参加するも準々決勝で破れる。

1997年、ファビオ・カペッロ監督の強い要望によりレアル・マドリードに引き抜かれる。以降、ラウール・ゴンサレスとのコンビで世界を制覇することになる。1998年3月25日スペイン代表としてデビュー(スウェーデン戦)、アムステルダム・アレナでのUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦にも出場。クラブは33年ぶりのビッグイヤーを獲得する。1998年フランスW杯に出場、2試合に出場、2得点をするも1勝1分1敗の成績でチームはグループリーグ敗退となった。

2000年、パリ、サン・ドニにおけるチャンピオンズリーグ決勝、対バレンシア戦ではヘディングによる貴重な先制点を決めるが、2000年欧州選手権オランダ・ベルギー大会では代表に招集されなかった。

2002年、グラスゴー、ハンプデンパークにおけるチャンピオンズリーグ決勝、モリエンテス・グティ論争の中、監督のビセンテ・デル・ボスケはモリエンテスを選択、フル出場を果たし見事3度目のビッグイヤーを経験する。2002年W杯ではパラグアイ戦、アイルランド戦で得点を決める活躍を見せるが、チームは世紀の大誤審により、ベスト8で敗退となった。

レアル・マドリー加入以降、打点の高いヘディング、左右両足から撃てるシュートが魅力的なセンターフォーワードとして欠かせない存在のFWであった彼の地位が揺らぐのは2002年オフシーズン、先のW杯得点王ロナウドの加入による。ベンチスタートが多くなり、挙句ロナウドが背番号「9」を欲しがったことから、常に去就が注目されることになる。

03-04シーズン、フランス、リーグアン所属のASモナコに給料の65%をレアルが負担することでレンタル移籍することになった。背番号は「10」。このときレアルフロントは契約に「直接対決出場除外規定」を載せることをしなかった。これが何かの縁か、チャンピオンズリーグ準々決勝でASモナコはレアル・マドリードと対決することになる。第1戦、サンチャゴ・ベルナベウでの試合で4-1の場面から、高い打点でのヘディングゴールを決めた後、マドリードにおける鉄道テロ事件の犠牲者の哀悼の意を込め、天に指を突き出すと、スタジアムは拍手に包まれる感動的な光景が見られた。続く第2戦、スタッド・ルイ・ドゥでの試合、1-0とされた後の逆転ゴールとなるヘディングシュートを決める。ゲームは3-1でASモナコが勝利し、2試合通算5-5、アウェーゴールルールでレアル・マドリードを退ける快挙を成し遂げた。試合終了後にラウルと抱き合う寂しげな姿も記憶に残った。試合後、彼は「別に復讐という意味などない。私はプロとしての仕事をしただけだ」と言い残した。チームは決勝戦まで進むものの、度重なるオフサイドの判定に泣き、ジョゼ・モウリーニョ率いるFCポルトの前に3-0で敗れたが、9得点を挙げチャンピオンズリーグ得点王、UEFAシーズン最優秀FWを獲得した。

2004年、欧州選手権ポルトガル大会において、代表に招集され、3試合1得点の成績を残すもチームは総得点がギリシャより少なくグループリーグ敗退となる。

04-05シーズン、新監督、ホセ・アントニオ・カマーチョ監督の強い要望でレアル・マドリードに復帰するも背番号が確定せず、日本ツアーでは背番号「4」をつけて試合に出場していた。チャンピオンズリーグ予備選、ビスラ・クラクフ戦ではアウェーで2ゴールを決め、勝負強さを見せるが、この時期によりによって、リヴァプールのエースで、イングランド代表FW、マイケル・オーウェンの加入が決定する。シーズンが開幕すると背番号「8」の彼は常にロナウドの影に隠れベンチを温める日々が続く。そしてレアル・マドリード在籍182試合、72得点の結果を残して、2005年の移籍マーケットで移籍金は900万ユーロ、3年半契約でリヴァプールFCに移籍。背番号は「19」。レアル・マドリードを去った。

そんなリヴァプールがチャンピオンズリーグ、決勝トーナメントを勝ち進み、決勝戦まで進出。カップタイドで出られない彼だが、マスコミからの質問に対しては非常に真摯に答え、決勝戦を勝利するとメンバーの一員として非常に喜んでいる姿がメディアに映し出された。ユニフォームではなくジャージ姿であったが。

2005-2006シーズンもイングランドのスタイルに馴染むことが出来ず低調なパフォーマンスに終わると、プレーオフで活躍したのにW杯のスペイン代表メンバーからも落選するという境遇に遭ってしまう。(スペインは結局フェルナンド・トーレスに心中して1回戦で敗戦)2006年5月に移籍金300万ポンドにてスペインのバレンシアに復帰。リーガ開幕戦から得点を決め、チャンピオンズリーグ、予備選のザルツブルク戦から得点を決め、グループリーグ初戦のオリンピアコス戦ではいきなりハットトリックと、ダビド・ビジャと組む前線で輝きを取り戻している。

個人評

この人が昔生やしていたヒゲって似合わなかったよね。モナコでは優勝できず、リヴァプールでは優勝してもカップタイド、そして代表にはEURO以来あまり呼ばれない。不幸人生を感じる。 id:encyclopector

W杯で彼がいたら中で形を作ることもできたから、もうちょっと攻撃が良くなったかもしれないということより、今はバレンシアでの活躍を期待するだけですね。 id:encyclopector

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