フィリップ・コクー

フィリップ・コクー

Phillip Cocu オランダ人サッカープレイヤー

1970年10月29日 アイントホーフェン生まれ 182cm 74kg

所属クラブ

1988-90 AZアルクマール(オランダ)

1990-95 フィテッセ(オランダ)

1995-98 PSVアイントホーフェン(オランダ)

1998-04 FCバルセロナ(スペイン)

2004- PSVアイントホーフェン(オランダ)

概略

AFC '34およびDCS Zevenaarにてアマチュアのキャリアを積み、17才で当時2部のAZとプロ契約を結びそのシーズンにデビューする。1部デビューはフィテッセで、フィテッセ移籍後いきなり右足の故障をしてしまうが、ヘルベルト・ノイマン監督の指導を受け、優秀なプレイヤーとして育っていく。

1995年、自身憧れのチームであったアヤックスではなく、ディック・アドフォカートが監督に就任したPSVへと移籍した。

PSVでは移籍初年度に自身初タイトルとなるDutch Cupを獲得、ヴィム・ヨンクとのボランチのポジションを確立、翌シーズンにはボウデヴィン・ゼンデンと共にリーグ全試合に出場、最多得点、最少失点のチームの中でディフェンシブハーフとしての役務を全うした。PSVでは3シーズンで93試合に出場、31ゴールの記録を残した。

1998年に、インテル・ミラノからのオファーを断り、オランダ人監督、ルイス・ファン・ハールが率いるFCバルセロナに移籍。ファン・ハールの厳しい統制のチームの下、左サイドのリバウドの自由な動きを支える左のハーフとして出場機会を伸ばし、ミドルシュートやセットプレー等の得点も重ね、チーム創設100周年を祝うリーガ制覇を成し遂げた。

1999-2000シーズンから、背番号も15から8に代わり、チーム最多の35試合に出場、ヤリ・リトマネンやジョゼップ・グアルディオラ、フランク・デ・ブールがケガで欠場してしまう中で中盤や守備の様々なポジションを引き受け活躍した。

2000年にファン・ハールが辞任し、バルサは暗黒時代に突入するが自身はバルサに残留、リバウド、グアルディオラの攻撃をしたから支える守備的な中盤の役割やら、アベラルドが離脱するとセンターバックのポジションを務めきった。2001-2002シーズンではトリデンテを支えるビボーテを中心に務め、キャプタンであるルイス・エンリケが故障した時にはキャプテンマークを巻いて出場した。ファン・ハールが復帰した2002-2003シーズンでは主にビボーテだったが、どこか行方不明なシステムで左側の守備やら、センターバックをやっていたが、迷走するシステムの中、自身はヒザの故障で大事なチャンピオンズリーグの決勝トーナメントを欠場、チームはユヴェントスに破れ、カンプ・ノウにおけるエル・クラシコも欠場していた。

2003年、減給を受け入れてバルサに残留。新監督フランク・ライカールトの下でビボーテを中心にセンターバック等チームを助けるユーティリティープレーヤーを全う、冬に加入したエドガー・ダーヴィッツと共に中盤の潰し役を主に務めた。結局バルサでは外国人選手最多の205試合に出場、33得点の記録を残した。

2004年、恩師ヒディンクが率いるPSVアイントホーフェンに復帰、自分の経験によって若手選手を引っ張っていけたら良いと語り、その通りにPSVを10年目にして初のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント進出に導くと、準々決勝ではグレゴリー・クーペの動きを見計らってタイミング良くゴロのシュートを決め、ACミランとの準決勝第2戦では2戦通じて同点となる2点目をヘディングで決め、1点勝ち越されアウェーゴールルールにより2点を必要とされた後半ロスタイムに長い距離をハーフウェーライン付近から走り込んで、ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンクがヘディングで競ったボールをボレーシュートで決め込み、感動的なゴールを決めた。

2005-2006シーズンから、マルコ・ファン・ボメルがバルサに移籍したことでキャプテンを任され、チャンピオンズリーグ第6節に、決勝トーナメント行きを決めるヘディングシュートと、2点目の起点となるピンポイントなフリーキックを蹴った。


オランダ代表としては1996年の4月24日、25才でデビューと遅咲きながら、フース・ヒディンクに認められ1996年欧州選手権には全4試合に出場。続く1998年のW杯にも7試合に出場うち3位決定戦を除いてフル出場。初戦はボランチ、グループリーグ残り2試合ではFWのようなポジションで出場2得点を挙げる上、ユーゴスラビア戦では中盤の底でセードルフ、ダーヴィッツの動きを支え、アルゼンチン戦ではヨンクとのコンビでボランチ、ブラジル戦ではヌーマン欠場により左サイドバック、とチームの状況に合わせて様々なポジションで働きチームを支えた。

母国開催となった、2000年欧州選手権にも出場し、準決勝まで勝ち進むチームを中盤で支える活躍をした。2002年のW杯ではポルトガル、アイルランドの前に予選敗退の憂き目を見た。

2004年欧州選手権ではキャプテンマークを巻いて出場。グループリーグの最重要と目されたチェコ戦ではパスミスによりヤン・コラーのゴールを決められ、大逆転劇の発端を作ってしまった。その後は大きなミスなく、ドイツ、スウェーデンの攻撃の芽を中盤で摘む役割果たし、3位の成績に貢献した。

欧州選手権後、フランク・デ・ブールの代表引退により、現役最多キャップを数えることとなり、W杯欧州予選でもキャプテンとしてチームを支え、W杯予選ルーマニア戦では背番号10を付け、前半早々にゴールを決めるなどチームの本戦進出に貢献し、本大会での活躍を期待される。

個人評

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