ビセンテ・デル・ボスケ

ビセンテ・デル・ボスケ

Vicente del Bosque González スペイン人サッカープレイヤー、監督

1950年12月23日 サラマンカ生まれ

概略

選手時代

1968年、レアル・マドリードの下部組織カスティーリャに加入。1970-71のシーズン、コルドバへレンタル移籍、チームの1部復帰に貢献をし、71-72シーズンはカステリョンへレンタル移籍、ここでも1部復帰に貢献し、翌72-73シーズン、リーガ1部で30試合に出場5得点を記録し5位の入る躍進を遂げた。

1973-74シーズン、レアル・マドリード、トップチームに復帰。16試合に出場をする。コパ・デル・レイでは7試合出場5得点を決め優勝に輝く。74-75シーズンからレギュラーを獲得し、リーグ優勝およびカップ2連覇の2冠を制する。76-77シーズンは優勝をアトレチコに譲るも、77-78シーズン、シュティーリケ、ピリを従え中盤の中央に入り、ヒゲを蓄えた大柄な風貌ながら、巧みな判断力、パスセンスを活かしたゲームメーカーとして活躍し、優勝。以後3連覇を果たした。79-80シーズンは史上初のカップ戦におけるレアル・マドリード対カステーリャの試合を制して2冠に輝いた。

1980-81シーズンはレアル・マドリード久々のチャンピオンズカップ決勝進出となったがリヴァプールに破れ、リーガ優勝はレアル・ソシエダに持っていかれた。選手生活は83-84シーズンで引退。リーガ通算成績は239試合、14得点。スペイン代表としては18試合に出場。1976年、欧州選手権に出場も果たした。

監督時代

現役引退後、カスティーリャ第2コーチに就任。87-88シーズン、カスティーリャの監督に就任。18勝12分8敗の成績で2部リーグ3位となった。(しかしながら1部リーグにレアルマドリードが所属しているため、カスティーリャは1部リーグに昇格することはできない)

89-90シーズン、2部リーグ18位となり2部リーグBに降格。1990年からレアル・マドリード、下部カテゴリーのコーディネーターに就任する。ハビエル・ポルティージョなど有望な若手選手を引き抜いた。

93-94シーズン、ベニト・フローロ監督の後任として11試合を指揮し、翌シーズンは監督をホルヘ・バルダーノに引き継ぎ再び下部カテゴリーのゼネラルディレクターに復帰。95-96シーズンに、バルダーノの後任として1試合指揮をし、アルセニオに引き継いだ。

99-00シーズン、ジョン・トシャックの辞任に伴い監督に就任。選手同士の衝突により混沌としていたチームに落ち着きを与え、ボランチであるイバン・エルゲラをリベロとして起用する戦術がはまり、リーガ27試合で13勝を納め、チャンピオンズリーグではバレンシアを下して優勝した。

翌00-01シーズンから正式に監督に就任。ルイス・フィーゴが入り、スター選手を揃えたチームをしっかりとまとめ上げ、圧倒的な強さでリーグを制覇。チャンピオンズリーグでも王者として挑みベスト4の成績を残した。クラブ創設100周年の01-02シーズン、リーガも善戦し3位。コパ・デル・レイは決勝まで進んだが、サンチャゴ・ベルナベウでデポルティーボ・ラ・コルーニャに破れ準優勝となったが、チャンピオンズリーグで優勝。クラブに悲願のタイトルをもたらした。

02-03シーズン、リーガを制覇したが、ディビッド・ベッカム獲得を巡ってフロントと対立。優勝した翌日に契約更新をしないことが決定し事実上の解雇となった。

リーガ通算153試合84勝の結果を残した。

04-05シーズン、トルコのベジクタシュの監督に就任。フロントが本人の望む補強をしなかったこと、言葉の壁などがたたり、開幕から大きく躓き、加えてuefa杯のグループリーグでも敗退。2005年1月27日に監督を解任された。

現在は、Cadenaなどで解説者として活躍している。

個人評

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