パオロ・ディ・カーニオ

パオロ・ディ・カーニオ

Paolo Di Canio イタリア人サッカー選手

1968年7月9日 ローマ生まれ 178cm・72kg

ポジションはフォワード

所属クラブ

1985-86 S.S.ラツィオ

1986-87 テルナーナ・カルチョ

1987-90 S.S.ラツィオ

1990-93 ユベントス

1993-94 SSCナポリ

1994-96 ACミラン

1996-97 セルティック(スコットランド)

1997-99 シェフィールド・ウェンズデー(イングランド)

1999-03 ウェストハム・ユナイテッド(イングランド)

2003-04 チャールトン・アスレティック(イングランド)

2004-ラツィオ

概略

ローマに生まれ、生粋のラツィアーレとして生まれ、ラツィオのユースで育った。セリエBのテルナーナにレンタルされた後、1988年、チェゼーナ戦でプロデビュー。この年のローマダービーにおいてロマニスタの陣取るクルヴァ・スッドに中指を立てるパフォーマンスをして論議を呼ぶ。90年までラツィオに在籍した後、ユヴェントスではuefa杯、ミランではスクデットの栄冠に貢献した後、1996年多くの選手が守備的すぎたイタリアを捨て海外に出た中、例外に漏れずスコットランド、セルティックに移籍、1シーズンの在籍ながら37試合に出場15得点を挙げ、選手によるスコットランドリーグ最優秀選手 Scottish PFA Players' Player of the Year に輝いた。

1シーズンでセルティックを去り、イングランド、シェフィールドに移籍。アーセナル戦で主審ポール・アルコックを突き飛ばす行為などをしたもの41試合に出場15得点を挙げた後、1999年1月にウェストハムに移籍。uefa杯圏内順位に貢献。以後中心選手として活躍する。2000年ウィンブルドン戦で挙げた素晴らしいボレーシュートはその年のベストゴールオブザイヤーに選ばれている。

00-01シーズン、エヴァートン戦において、90分、無人のゴールにボールを押し込めば勝利という場面で、相手GKが選手ともつれて倒れ込んでいるとして、ボールを手で受け止め試合を止めた。この行為を「紳士的な特別なプレー the act as "a special act of good sportsmanship." 」としてFIFAフェアプレー賞を受賞した。

02-03シーズン、財政難で選手放出されるなかでもチームの為に残っていたが、グレン・ローダー監督と対立して出場機会が減ってしまい、降格を見届けることになってしまう。

03-04シーズン、ウエストハムを後にし、チャールトンに移籍。主力として活躍。クラブ100年を迎える04-05シーズン、自分の育ったラツィオが経営難に苦しんでいることを思い、クラウディオ・ロティートが彼の契約条項内に「ラツィオが自分にオファーを出した場合、チャールトンとの契約を破棄できる」という条件があると知ってオファーをする。年俸90万ユーロから年俸25万ユーロになることを受け入れ、14年ぶりにラツィオに復帰。「ラツィオへの復帰は、普通の移籍とは違う。“心のチーム”からのオファーを拒否することなど最初から不可能なことだったのだ。」という男気溢れるコメントを残した。「ローマダービーで、もしGKがケガをしてうずくまっていたら?」という記者の質問に、「言うまでもない。躊躇することなくゴールを決めてやるさ」と笑顔で答えた。

シーズン開幕するとシモーネ・インザーギとPKのキッカーに関して、激しく争い殴り合いをしてくれた。また1月5日のローマダービー、得点した後にしたファシスト式の敬礼で罰金と問題行動を起こしてくれた。しかしドメニコ・カーゾ監督解任の後に就任したディミトリ・パパドプーロ監督との対立から出場機会が激減。ベンチで味方に大声で鼓舞している姿が多く見られることとなっていた。

類い希な技術、センス、を有し、豪快なプレーで魅了している彼だが、イタリア代表として出場したことは一度もない。確かにピッチ外での態度等を含めると問題なのかもしれない。一時期、カタールが彼に代表をオファーしたことはあったが、FIFAによって却下された。

個人評

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