バイエルン・ミュンヘン

バイエルン・ミュンヘン

FCバイエルン・ミュンヘン Fußball Club Bayern München 略する場合はFCB。

ドイツ、ブンデスリーガに所属するサッカークラブ。本拠地はミュンヘン(ドイツ語ではミュンヒェンが正しい。しかし英語ではMunichなんだけどなぁ)、バイエルン州。(英語ではBavaria、独語でもバイエルンというより発音としてはバイアーンなんだが)

ブンデスリーガ1部に昇格したのは1965年。ブンデスリーガ発足当初は一都市につき1クラブということで1860ミュンヘンが1部とされて2部からスタート) 

1900年2月27日 ベルリン出身のフランツ・ジョンを中心に創設された。


チームカラー 赤と白

クラブ会員 96,000人

ホームスタジアム アリアンツ・アレーナ Die Allianz Arena 収容人数 66000人

1860ミュンヘンと共同で使用。バイエルンが試合をする場合、外壁が赤くライトアップされる。2006年、W杯開幕戦のスタジアムである。

メインスポンサー Deutsche Telekom

ユニフォームサプライヤー adidas

E.V会長(Präsident)および監査役長(Aufsichtsratsvorsitzender):フランツ・ベッケンバウアー Franz Beckenbauer

取締役社長(Vorstandsvorsitzender):カール・ハインツ・ルンメニゲ Karl-Heinz Rummenigge

ゼネラルマネージャー(Stellvertretender Vorsitzender):ウリ・ヘーネス Uli Hoeneß

取締役(Vorstandsmitglied):カール・ホプフナー Karl Hopfner

監督(Chef-Trainer):フェリックス・マガト Felix Magath

アシスタントコーチ(Co-Trainer):ゼッポ・アイヒコルン Josef 'Seppo' Eichkorn

GKコーチ(Torwart-Trainer):ゼップ・マイヤー Sepp Maier

獲得タイトル

リーグ優勝:19回(1932,1969,1972,1973,1974,1980,1981,1985,1986,1987,1989,1990,1994,1997,

1999,2000,2001,2003,2005

カップ優勝:12回(1957,1966,1967,1969,1971,1982,1984,1986,1998,2000,2003,2005)

チャンピオンズリーグ優勝:4回(1974,1975,1976,2001)

UEFAカップ優勝:1回(1996)

カップウィナーズカップ優勝:1回(1967)

ライバル

同じミュンヘンを本拠地とする1860ミュンヘンとはダービーマッチを繰り広げるが、むしろドイツ最大の資金を保有するクラブとして世界に視点を定めている色が見られる。

概略

FCハリウッドと揶揄されるまでに才能有る選手がいながらまとまりに欠けた集団を、1998年就任したオトマール・ヒッツフェルト監督が規律を用いてまとめ上げ、98-99シーズン圧倒的な力でブンデスリーガを制覇、チャンピオンズリーグも決勝まで進みマリオ・バスラーのゴールでロスタイムまで1-0と勝っていたが、カンプ・ノウの悲劇と呼ばれる大逆転負けを喫し準優勝に終わる。引退を表明したローター・マテウスは悔しそうに銀メダルをすぐに外した。

翌99-00シーズンもジョバネ・エルベル、新加入のパオロ・セルジオらの活躍で73得点、GKオリヴァー・カーンを中心とした28失点の守備力により得失点差でバイヤー・レヴァークーゼンと同率ながらリーグ優勝を達成、カップも制し2冠を達成。チャンピオンズリーグはレアル・マドリードとの対決では合計得点の差で破れベスト4で敗退。00-01シーズン、最終節にパトリック・アンデションのゴールで劇的な逆転優勝を果たし、チャンピオンズリーグにジュゼッペ・メアッツァにおける決勝戦、バレンシアCF相手にPK戦を制して25年ぶりのビッグイヤーに輝いた。

01-02シーズン、壮絶なたたき合いの中でボルシア・ドルトムントバイヤー・レヴァークーゼンに続く3位。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント、レアル・マドリードとの対決では、シュテファン・エッフェンベルクらのゴールでホームの初戦を制したが、アウェーで返り討ちに遭い、ベスト8で姿を消した。02-03シーズン、オリヴァー・カーンの欠場、新加入のミヒャエル・バラックの不調でチャンピオンズリーグは1次リーグで1勝もできないまま姿を消したが、ドイツ国内のリーグでは他の追随を許さない独走で優勝。カップも制し国内2冠と盟主の面目は保った。03-04シーズン、何か歯車の噛み合わない状況が続き、カーンもスキャンダルに巻き込まれ不調。リーグは16節にヴェルダー・ブレーメンに首位に立たれると独走を許し2位。チャンピオンズリーグではカーンの信じられないファンブルによってベスト16で敗戦。ヒッツフェルトは退任した。

2004年、新監督にVfBシュトゥットガルト監督のフェリックス・マガトを招聘、シャルケ04に一時並ばれたが、地力の違いを見せつけて優勝。カップも制覇して2冠を達成した。チャンピオンズリーグではチェルシーに破れ、ベスト8で姿を消し、ミュンヘン・オリンピア・シュタディオン最後のシーズンに花を添えることはできなかった。

個人評

どうにもこうにもドイツ最強=世界最強を体現しようとするには、何か足りないのだろうか。選手層、タレント性も世界随一。だけど、優勝がない。ドイツ国内のライバルから有力な選手を引き抜く手段はどうにかやめてもらいたい。 id:encyclopector

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