デメトリオ・アルベルティーニ

デメトリオ・アルベルティーニ

Demetrio Albertini イタリア人サッカー選手 1971.8.23生まれ

ポジションはミッドフィルダー

愛称はデミー。また敬意を込めてプレーテと呼んだり、そのプレースタイルからコンダクターやメトロノームとも言われた。

所属クラブ

1988-1990 ACミラン

1990-1991 パドバ

1991-2002 ACミラン

2002-2003 アトレチコ・マドリード(スペイン)

2003-2004 ラツィオ

2004-2005 アタランタ

2005- FCバルセロナ(スペイン)

概略

選手時代

17歳の時にミランユースに入団し、ジャンニ・リベラの再来と呼ばれ、18歳でAチームデビュー、その後3年間で3試合しか出場鳴らなかったが、パドバへレンタル移籍し、28試合に出場し5得点の結果を残して復帰以後、スクデット3連覇、ビッグイヤー獲得など90年代のACミランにおいて、戦術判断、プレースキック、パスセンス、ミドルシュートと中盤でズボニミール・ボバンらと共に輝きを放った選手。

イタリア代表においても、1991年のキプロス戦以来、1994年、1996年、1998年、2000年と2度のW杯、欧州選手権においてアズーリの主力選手として活躍して活躍していながら、2002年W杯直前に「キミの居場所はない」と当時監督のジョバンニ・トラパットーニに宣告され、イタリア代表から脱落。同時期、ACミランでも活躍の場を失い、2002-2003シーズンはアトレチコ・マドリードにレンタル移籍した。第18節、対レアル・マドリードとのダービーにおいて後半ロスタイムに強烈なフリーキックを決め、存在感を見せる活躍を見せたものの、ミランに戻ると同時期にクラブにはレジスタとして成長著しいアンドレア・ピルロがいたために、2003-2004シーズンはミランからラツィオにレンタル移籍。クラブが財政難に陥り、デヤン・スタンコビッチが移籍してしまう中、中盤をリベラーニ、ジャンニケッダなどと共に支えた。

2004-2005シーズンはアタランタに完全移籍。2005年1月の冬のマーケットでFCバルセロナに移籍。かつてACミランでチームメートだったフランク・ライカールト監督が欧州の頂上舞台で戦う経験を活かして欲しい旨、獲得を要請したために移籍した。しかしながら、最重要であるチャンピオンズリーグ、対チェルシー戦2ndレグではベンチから出場することがなかったというなかなか不思議采配をされてしまった。

2005-2006シーズン、契約を延長するのかしないのかの判断に遅れたバルサによって移籍もままならず飼い殺し状態のまま、2005年12月5日に現役引退発表。翌2006年3月15日にサン・シーロで引退試合が行われたが、その試合で決めたフリーキックは短い助走から素晴らしい切れ味で後味の悪い引退は何とも勿体ない。


不思議と言えば、アズーリの公式戦においては、1994年は「4」はディフェンダーということで、背番号11、1996年はゾラかデルピエロかという争いによって背番号10、1998年も「4」はディフェンダーということで背番号9と、2000年以外公式戦では4ではなかったりする。

代表デビューは1991年キプロス戦、トラパットーニの下では重要視されず、不満を述べたこと、アキレス腱のケガによって2002年のW杯における出場はならなかった。

その後

カルチョポリスキャンダルに発覚後のFIGC、副会長に選任された。本人は指導者の道を歩む予定だったのに。

個人評

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