ディディエ・デシャン

ディディエ・デシャン

Didier Claude Deschamps

フランス人(バスク系)サッカープレーヤー、監督  1968年10月15日 バヨーヌ生まれ。

ポジションはミッドフィールダー。174cm・71kg

概略

選手時代

若手育成に定評のあった名門ナントに16歳から所属し、20歳の時にはキャプテンをしていたが、クラブの財政状況によってオランピック・マルセイユに移籍する。

1989年に代表デビュー。W杯予選の大事なユーゴスラヴィア戦で、ダニエル・ブラボーの負傷交代でピッチに立ったが、活躍はできず、後に監督のミシェル・プラティニは「ミスだった」と言ったほど。しかし、1992年イングランドに負けるまでの19試合無敗記録の間、17試合に出場したのもデシャンである。

クラブレベルでは、1シーズン、ジロンダン・ボルドーへのレンタルを挟んで、オランピック・マルセイユにて89-90、90-91、91-92シーズンのリーグ優勝、92-93シーズン、多彩なタレント集団の中、キャプテンとしてチャンピオンズカップ制覇に大きく貢献した。

マルセイユのベルナール・タピ会長の八百長疑惑により、チームの下部降格などもあって、ユヴェントスに移籍、95-96シーズンにチャンピオンズリーグ制覇、94-95、96-97、97-98シーズンのスクデットなど第1次リッピ政権下、強靱なスタミナで駆け回り、高い戦術理解をもつボランチとしてタイトルに貢献した。

1998年、1990年、1994年と出場を果たせなかったW杯を開催国として出場したフランス代表の中、キャプテンとして常に声を出し続け、で才能有る若手選手達を引っ張り、プラティニすら果たせなかったジュール・リメ杯を掲げることをやってのけた。

1999年にチェルシーに移籍、チームはFA杯を制覇したが、選手兼任のジャンルカ・ヴィアリ監督とはうまくいかず、翌シーズンにバレンシアに移籍。

2000年、欧州選手権もキャプテンとして全試合出場。ロスタイムに追いつき、延長ゴールで優勝。史上初のW杯と欧州選手権の連続優勝を果たし、アンリ・ドロネー杯を掲げる。

00-01シーズン、バレンシアでは出場機会にも恵まれず、クラブはチャンピオンズリーグ準優勝と好成績を残したが、デシャンは出場すらなく、このシーズンに現役引退する。

監督時代

01-02シーズン、ASモナコの監督として、新しいサッカー人生をスタートさせる。しかし成績は15位と降格寸前。監督のライセンスがないこともあって、非常に叩かれた。そのシーズンのオフにオリヴァー・ビアホフ、マルセロ・ガジャルド、マルコ・シモーネなどベテランを解雇し、若手主体のチーム編成で挑み、02-03シーズンはリーグ2位の成績を残す。翌03-04シーズン、チャンピオンズリーグで、フェルナンド・モリエンテスルドビク・ジュリージェローム・ロタンを中心とした攻撃陣、ジュリアン・ロドリゲス、セバスチャン・スキラッチ、ガエル・ジヴェを筆頭とした高く強い守備陣をまとめ上げ、レアル・マドリードチェルシーなどを破り準優勝という好成績、フランスリーグでも首位を走っていたが、最後にオランピック・リヨネーに抜かれ2位という成績を残した。

04-05シーズン、戦力が大幅に変わった中で戦力を組み立てることに苦労し、チャンピオンズリーグの出場したが、決勝トーナメント1回戦でPSVアイントホーフェンに破れ、前季以上の成績を残すことはできなかった。リーグアンではリヨンの独走を許し、リールOSCに次ぐ3位とギリギリのチャンピオンズリーグ出場権を得る成績に終わってしまった。

個人評

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