ジロンダン・ボルドー

ジロンダン・ボルドー

Football Club des Girondins de Bordeaux

リーグアン所属、サッカークラブチーム。本拠地はチーム名そのまま、ボルドー(ジロンド県)

創設は1881年。サッカー部門は1919年。プロリーグ参加は1937年。


チームカラー:マリンブルーと白

ホームスタジアム:スタッド・シャバン・デルマ Stade Chaban-Delmas(Le Stade Jacques Chaban-Delmas)

旧名はParc Lescure。2001年元フランス大統領Jacques Chaban-Delmasの名を冠した。

会長(Président):ジャン・ルイ・トリオー Jean-Louis Triaud

総合ディレクター(Directeur Général):アレン・デヴェッセレール Alain Deveseleer

スポーツディレクター(Directeur Sportif):シャルル・カンポッロ Charles Camporro

Directeur du Centre de Formation:パトリック・バティストン Patrick Battiston

Responsable du Recrutement (Centre de Formation):ギー・ヒルトン Guy Hillion

Directeur Administratif et Financier:マルティネ・エスピエ Martine Espiet

Directeur Commercial et Marketing:ヴァンサン・ルプー Vincent Repoux

メインスポンサー: Motorola

ユニフォームサプライヤー: Puma

監督:リカルド・ゴメス Raymundo Ricardo Gomes


獲得タイトル

リーグ優勝:5回(1950,1984,1985,1987,1999)

カップ(Coupe de France)優勝:3回(1941,1986,1987)

リーグカップ(Coupe de la Ligue)優勝:1回(2002)

概略

1996年、新会長にジャン・ルイ・トリオーが就任、監督にロラン・クールビが就任。ところがチームはジネディーヌ・ジダン、ビセンテ・リザラズの抜けた穴を埋められず5位でシーズンを終える。その後任に迎えられたのはギー・ステファン。98-99シーズン、ヨアン・ミクー、クリストフ・デュガリー、シルヴァン・ヴィルトールらの活躍によってオランピック・マルセイユとの激しい競り合いを制し優勝を果たした。監督Élie Baupの下、99-00シーズンはモナコの独走の中、パリ・サンジェルマンオランピック・リヨネーとの2位争いに敗れ4位に終わってしまう。

00-01シーズン、ミクーはパルマに、ウィルトールはアーセナルに移籍してしまったが、デポルティーボ・ラ・コルーニャからポルトガル代表、ペドロ・パウレタが加入。攻撃的中盤にマルク・ヴィルモッツを構え攻撃は機能したものの4位。01-02シーズンはパウレタが22得点(このシーズンのチーム総得点は34)を記録し得点王となるも、チーム自体は機能を欠き6位。翌シーズンもパウレタはリーグ2位の23得点を記録したが、大激戦の首位争いの中でリヨンに首位を譲り、ASモナコ、オランピック・マルセイユを前にCL出場権も逃した。

03-04シーズン、パウレタがパリ・サンジェルマンに移籍してしまい、攻撃の中心が欠けてしまったチームは中盤でアルベルト・セラーデスは健闘していたが12位と終わる。翌シーズンも大きく戦力が伸びることなく、15位と終わってしまった。

新監督に元パリ・サンジェルマン監督のリカルド・ゴメスを招聘してどうなるやら。開幕戦は制したが。

個人評

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