ジョン・ハートソン

ジョン・ハートソン

John Hartson ウェールズ人サッカー選手。

1975年4月5日 スウォンジー生まれ 185㎝ 92㎏

所属クラブ

1992-95 ルートン(イングランド)

1995-97 アーセナル(イングランド)

1997-99 ウェストハム(イングランド)

1999-01 ウィンブルドン(イングランド)

2001  コヴェントリー(イングランド)

2001- セルティック(スコットランド)

概略

父親でプロサッカー選手であったシリル・ハートソンの息子として生を受け、1992年、ルートン・タウンFCの入団テストに合格、トレーニーとしてキャリアをスタートさせる。93-94シーズンにトップデビュー。2シーズンで54試合11得点を挙げる活躍をすると、94-95シーズン途中、250万ポンドでジョージ・グレアム監督率いるアーセナルに引き抜かれる。1995年1月のエヴァートン戦でプレミアデビューを果たして、その試合で退場。イアン・ライト、ケヴィン・キャンベルといる中で15試合7得点とそれなり活躍。翌シーズンはデニス・ベルカンプ加入の中、19試合で4得点と大きく活躍するほどではなかった。

1997年2月、ハリー・レドナップ監督率いるウェストハムに330万ポンドで加入。97年10月にレスター戦で審判に暴言を吐いて、FAから1000ポンドの罰金を受ける、またエセックスのホテルで酔っ払って暴れ、一晩拘置所で過ごす活躍と共に、97-98シーズンには1部リーグにおいて15得点を決め、4位の成績に貢献(プレーオフ決勝で敗れ、昇格は逃す)、シーズンオフにパブの外にあった吊り篭を壊し、有罪判決を受けるが、98-99シーズンは練習中、チームメイトのエヤル・ベルコビッチの顔を殴ってFAから2万ポンドの罰金を受けるが、9得点を決め6位、そしてプレーオフ昇格をさせるが、素行の悪さが原因でウィンブルドンに放出。移籍金は700万ポンド。

99-00シーズン、1部に降格したため、グラスゴー・レンジャーズへの移籍が決定するがメディカル・チェックが通らずに破談。続いてトッテナム移籍もメディカル・チェックが通らず破談。

Donsの財政難から2001年2月にコヴェントリーに移籍。skybluesに加入するやチームの危機を救うべく12試合で6ゴールの活躍をしたもののコヴェントリーは降格。この時期にギャンブル中毒であったことを認めている。

01-02シーズンよりセルティックの横縞のユニフォームを着ることとなる。移籍金は600万ポンド。

マーティン・オニール監督の下で見事に復活。イングランドスタイルを戦術とする中で、彼のハイボールに対する強さや体格に似合わない柔らかいタッチは武器となり、加入したシーズンから19得点を記録。優勝に貢献した。02-03シーズンはリーグ優勝は逃したが18得点を記録。ヘンリク・ラーション、ジャッキー・マクナマラと共に併行して戦ったuefa杯決勝進出の原動力となる。しかしながら、ヘルニアにより決勝戦に欠場。チームも敗退と非常に後悔する結果となってしまった。

03-04シーズン、腰の手術を受け、リームは優勝したものの出場は15試合に止まった。ゴールは8に止まった。完全復活した04-05シーズン、カップ戦を含むと49試合に出場30得点、リーグは25得点を記録、得点王に輝き、スコットランドリーグ最優秀選手、選手による最優秀選手賞(こちらはフェルナンド・リックセンと同時に)を受賞した。

新監督にゴードン・ストラカンが就任した05年夏、イングランドスタイルを放棄しようとする流れの中で彼は何をやらかすやら。

代表としては1995年3月にブルガリア戦でデビュー。初の大舞台出場まであと一歩と迫った2004年欧州選手権予選では3得点を挙げる活躍をしたものの、プレーオフでロシアのセルゲイ・イグナシェビッチに抑えられて本大会出場はならなかった。代表としては 同じウエールズ代表のヴィニー・ジョーンズとバークシャーのパブにて、頭上から氷の入ったバケツをぶちまけ上半身裸になり、バーの店員を口説こうとして断られたから乱闘を起こしたり、 どちらか強いかを決めるために街頭でヴィニー・ジョーンズと喧嘩と問題行動も起こしてくれている。

個人評

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