ジュゼッペ・メアッツァ

ジュゼッペ・メアッツァ

Stadio Giuseppe Meazza

ミラノ市西部にあるサッカースタジアム。所在地: Via Piccolomini 5, 20151 Milan

インテルナツィオナーレ・ミラノおよびACミランがホームスタジアムとして使用する。


ピッチサイズ 105m×68m

収容人数 85,700人

スタジアム内にはオノラート・アリジ氏のコレクションによる博物館が1996年に作られた。


1926年、ACミランの創設者の一人であり当時会長、ピエロ・ピレッリの提案により建設された。

こけら落としは1926年9月19日、ミラン対インテル・ミラノのダービーマッチ。3-6でインテルが勝利している。

1935年にミラノ市がミランから買い取り、インテルも使用することが許され、第二次大戦後、1947年より共同使用を開始した。

1955年、2階席を建設。100,000を収容可能とした。

1980年、ミラノ市によって、スタディオ・サン・シーロからスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァと改名された。(但し、ミラノサポーターは今でもサン・シーロと言う)

1990年、W杯開催の為に3階席および透明の屋根を増設。イタリア最大の収容人数を誇る。

この屋根に洗浄機能が無く埃がたまり、日光を遮断。芝の生長を妨げてしまい、世界屈指の芝の悪いスタジアムとなっている。

UEFAにより「5 star stadiums」にレイティングされ、2001年チャンピオンズリーグ決勝を開催した。(チャンピオンズカップでは1965年および1970年に開催)

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ジュゼッペ・メアッツァ(1910~1979)

在籍クラブ

1924-40 インテル

1940-42 ミラン

1942-43 ユベントス

1944 バレーゼ

1945-46 アタランタ

1946-47 インテル

概略

17歳でインテルの一員としてトップデビュー。ア・インヴァートと呼ばれるゴールは彼の代名詞でもあった。1930年30得点、1936年25得点、1938年20得点で3度の得点王を獲得。1930年および1938年とインテルの2度のセリエA制覇を果たした。

その後、ライバルクラブであるミランに移籍。しかしファンは暖かく彼を迎え入れたという。ミランで1940年にセリエA優勝を経験。以後、クラブを転々とした後、最後はインテルでプレイヤーコーチとして復帰。1947年6月29日、サン・シーロでのボローニャ戦で現役引退した。

イタリア代表としては1930年2月9日スイス戦でデビュー。1934年、イタリアW杯で主力メンバーとして優勝を経験。1938年、ムッソリーニの国策によって多くの選手を帰化させたチームの中でキャプテンとしてチームを牽引、W杯2連覇を果たす力となった。

1979年8月21日に逝去。翌年、彼の功績を称えられ、サン・シーロは彼の名を冠するスタジアムとなった。

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