ジネディーヌ・ジダン

ジネディーヌ・ジダン

Yazid Zinedine Zidane ヤジッド・ジネディーヌ・ジダン フランス人サッカー選手

1972年6月23日 185cm・80kg ラ・カステラーヌ(マルセイユ)出身

所属クラブ

1988-92 カンヌ(フランス)

1992-96 ジロンダン・ボルドー(フランス)

1996-01 ユヴェントス(イタリア)

2001- レアル・マドリード(スペイン)

個人タイトル

1998年 F.F誌選出 欧州年間最優秀選手(Ballon d'or)

1998年 W.S誌選出 世界年間最優秀選手

1998年 FIFA選出 世界年間最優秀選手

2000年 FIFA選出 世界年間最優秀選手

2003年 FIFA選出 世界年間最優秀選手

概略

マルセイユの貧民街にアルジェリア移民の子として育った。当時オランピック・マルセイユの中心選手だったエンツォ・フランチェスコリに憧れ、マルセイユのトライアウトを受けるが、当時の最盛期を誇ったマルセイユの選手となることは出来なかった。そのため、ジダンの母親がカンヌの名物スカウトジャン・バローに頼んで見て貰い、カンヌに加入することになる。

プロデビューは1988年カンヌから。92年にカンヌが降格するとディヴィジョンアンの名門クラブ、ジロンダン・ボルドーに移籍する。カードゲームやりながら決めるとは当時の穏やかな雰囲気のエピソードである。

A代表デビューは94年8月17日のチェコ戦。当時代表監督であったエメ・ジャケはスター選手であったエリック・カントナを代表から外し、ジダンを招集したのであった。後半18分にジダンは投入され、残り5分を切って敗色濃厚だった場面から2得点を決めてチームを引き分けに導くという鮮烈なデビューを飾った。

95-96シーズンにボルドーをuefa杯決勝(バイエルン・ミュンヘンに負け、ジダンはその当たりの酷さからブンデスリーガでサッカーをしたくないと公言している)まで導くとシーズン終了後、イタリアの名門で、当時、欧州王者となったユヴェントスに移籍する。背番号は21。加入したシーズンからユヴェントスセリエA2連覇と好成績を収める。

1998年、自国開催のW杯では、グループリーグ、サウジアラビア戦で1発退場になってしまい、3試合の出場停止となる。その為にチームは「ジダンの為に」決勝まで勝ち進み、決勝戦で2ゴール(苦手なヘディングであったが、後日エメ・ジャケが「あれは作戦だった」と述べている)を決め、フランスを初のW杯制覇に貢献する。

2000年、欧州選手権に於いても中心選手として活躍し、スペイン戦、ポルトガル戦とトーナメントに入ってから大事な場面でゴール(特にポルトガル戦はゴールデンゴール方式での延長におけるPK)を決め、ミシェル・プラティニを擁して制覇した1984年以来の優勝に導き、初のW杯、EUROの連覇という偉業を成し遂げる原動力となった。

2001年、唯一自身の持たないタイトルであったビッグイヤー獲得の為に、創立100周年を迎えるレアル・マドリードに移籍金84億円で移籍。背番号5を着けチャンピオンズリーグ、ドイツのバイヤー・レヴァークーゼンとの決勝戦、前半ロスタイム、ロベルト・カルロスのセンタリングがディフェンダーに当たり、高く舞い上がったボールを永遠に語り継がれるであろう左足でのスーパーボレーシュートで決めて勝利を収める。

しかし、その余韻もつかの間、2002年のW杯では、韓国との練習試合に右足太ももを負傷、グループリーグ2試合を欠場、満身創痍でデンマーク戦には出場したが、そこには輝かしい姿はなかった。

2004年、欧州選手権を「ジダンによって優勝できた」大会にしようと臨み、イングランド戦ではロスタイムに驚愕のフリーキック、ペナルティーキックを沈め幸先の良いスタートを切ったが、レ・ブルーは全体的に停滞し、ギリシャ戦ではジズー本人も精彩を欠き敗退。この試合を最後に代表からは引退。今後はクラブに専念してタイトルを狙っている。

2005年、自身のウェブサイトにてフランス代表復帰を公言。2006年ドイツW杯欧州予選グループ4で不振に喘ぐル・ブルーを救うことが出来るのか気になる。

2006年、4月26日「過去2年間、自分は最高の状態でプレーできなかった。それはレアルのようなチームでは、いいことではない」としてW杯本大会前を前に現役引退を発表。記者会見で温かい拍手に包まれ、クラブとしてはサンチェス・ビスファンにおけるヘディングシュートのゴールが最後のゴールとなった、そしてキャプテンとして望んだ3度目のW杯であったが、出だしのスイス戦ではレ・ブルーは全く機能しないチームで、試合途中にジダンとテュラムら守備陣との口論するシーンがあった、そして2戦連続で警告を受けた為に第3戦トーゴ戦は出場停止となるが、この試合にレ・ブルーが勝利することでチームは好転する。「ジダンの為に」という意識が生まれたチームは苦戦が予想されたスペイン、ブラジルを相手に勝利、いずれも決勝点はジダンの蹴ったフリーキックからの得点だった。そしてポルトガル戦では試合早々、アンリが倒されて得たPKを決めて勝利。自身2度目の決勝の舞台で、前半にマルーダが倒されて得たPKをチップキックで浮かせて決めた。しかし、延長後半にマルコ・マテラッツィを頭突きで倒して退場。

奇しくも彼の最後のシーンは「ジダン 神に愛した男」と同じような感じで終わってしまった。その後の表彰式やパレードにも彼は現れなかった。

個人評

あの吸い付くようにボールが収まるトラップ、エグいコースを付くパスは天才そのもの。しかし、若い頃からあの頭だけはな。 id:encyclopector

* はてなダイアリーキーワード:ジネディーヌ・ジダン