シャルケ04

シャルケ04

FC(Fußballclub) Schalke 04 略する場合はS04 ところがBasketball, Tischtennis, Handball、Leichtathletikの部門も有るから不思議。

ドイツ、ブンデスリーガ所属のサッカークラブチーム。本拠地はゲルセンキルヒェン Gelsenkirchen。ノルトライン・ヴェストファーレン州。

設立は1904年5月4日。


チームカラー:青。愛称は色にちなんでKoenigsblau。

クラブ会員:48,633

ホームスタジアム:ウェルティンス・アレーナ Veltins-Arena (収容人数 61,524)

(旧名はアレーナ・アウフ・シャルケ。2001年に完成した新しいスタジアム。05-06シーズンよりビール会社Vertinsが命名権を獲得。アレナ完成前はParkstadionを使用していた。)

メインスポンサー:Victoria Versicherungen

ユニフォームサプライヤー:adidas

会長(Vorstandsvorsitzender):ゲルハルト・レーベルク Gerhard Rehberg

副会長(Stellv. Vorstandsvorsitzender):ジョセフ・シュヌセンベルク Josef Schnusenberg

ゼネラル・マネージャー(Manager):ルディ・アサウアー Rudi Assauer

チーム・マネージャー(Leiter Lizenzabteilung):アンドレアス・ミュラー Andreas Müller

会長秘書(Geschäftsführer):ペーター・ペータース Peter Peters

監督(Chef-Trainer):ラルフ・ラングニック Ralf Rangnick

アシスタントコーチ(Co-Trainer):ミルコ・スロンカ Mirko Slomka

GKコーチ(Torwarttrainer):オリヴァー・レック Oliver Reck

獲得タイトル

リーグ優勝:7回(1934,1935,1937,1939,1940,1942,1958)

カップ優勝:4回(1937,1972,2001,2002)

UEFAカップ優勝:1回(1997)

ライバル

同じコーレンポットのボルシア・ドルトムント。レヴィア・ダービーは両チームのサポーターによる応援合戦に始まり、試合中の応援も熱く盛り上がる。シャルケのほうが若干綺麗な感じがする。

概略

ヨルク・ベルガー監督によって3位となった95-96シーズンの後、96-97シーズン、開幕から躓いて監督はウーブ・ステファンスに替わったが、それでも得点力不足に陥り、マルティン・マックスと組む前線の選手のチョイスに苦しみ、マルク・ヴィルモッツがFWをやったりなどし、リーグ戦は結局12位だった。しかしながら、uefa杯は決勝インテル・ミラノ戦、イヴ・アウゲンラウホが当時最高のFWロナウドをマンマークで押さえ込み、GKイェンス・レーマンの活躍により優勝の結果となった。その後低迷するシーズンを3シーズン経験したあとの、00-01シーズン、トマシュ・バルドフ、トマシュ・ハイトのポーランド代表のセンターバックコンビ、エッベ・サンドの高さ、エミール・ムペンザの得点力を活かしたチームとして上位に食い込み、第29節バイエルン・ミュンヘンとの直接対決を制しておきながら、勝ち点差1に泣き、マイスターシャーレはバイエルン・ミュンヘンに渡った。これが悲劇的な理由は、パルクシュタディオン最後の試合、シャルケは勝利し、バイエルン・ミュンヘンの結果待ちだったところ、バイエルンがHSVに負けた誤報が伝わってしまい、盛り上がった中でパトリック・アンデションのフリーキックでバイエルンが引き分けた真の情報が伝わった。このシーズン、ボルシア・ドルトムントから加入したアンドレアス・メラーの寂しそうな背中は印象的だった。このシーズンだけ、ヴィルモッツはジロンダン・ボルドーで働いていた。

翌01-02シーズン、チャンピオンズリーグは1次リーグ最下位と早々破れたがリーグで上位に食い込むことは出来なかったが、復帰したヴィルモッツの活躍によってカップ制覇はなしとげた。

02-03シーズン、ステフェンスがヘルタ・ベルリンに引き抜かれあえなく低迷。シーズン途中からヴィルモッツがプレーイングマネージャーとして活躍したが結局7位。ヴィルモッツは議員になるため引退。メラーも現役引退宣言をして去った。メラーはこの後フランクフルトで11試合出場。

03-04シーズン、名称ユップ・ハインケスを迎えたものの、ムペンザが抜けてしまい得点力に欠け、開幕5試合を1勝とスロースタート。中盤で伸びるも第28節からの3連敗が響きリーグは7位に終わる。

04-05シーズン、アイウトン、クルスタジッチ、リンコルンなどかなり効果的な補強をしたものの、開幕から躓き、6試合で無得点の試合が4という結果。ユップ・ハインケス監督を解任、ラルフ・ラングニック監督に替わると徐々にサンドがケガか復帰し、開幕が遅れたアイウトンもゴールを決めだし、チームは上昇、第25節、バイエルン・ミュンヘンとのホームでの直接対決をリンコルンのFKで1-0と制し、首位に立ったものの以後はマインツに破れた後、第28節から3連敗と失速。最終節にて2位をギリギリ確保した。DFBカップではシーズンで2勝したバイエルン・ミュンヘンの返り討ちに遭って準優勝。2冠を許した。

05-06シーズン、VfBシュツットガルトからケヴィン・クラニィを、ヴェルダー・ブレーメンからファビアン・エルンストを獲得。素晴らしい攻撃ユニットを持つチームの中、これがどのように働くのか注目である。

個人評

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