ゲオルゲ・ハジ

ゲオルゲ・ハジ

Gheorghe Hagi ルーマニア人サッカープレーヤー

1965年12月5日 サチェレ生まれ 174cm 73kg

経歴

1978-83 ファルール・コンスタンツァ(ルーマニア)

1983-87 スポルツール・スツデンスク(ルーマニア)

1987-90 ステアウア・ブカレスト(ルーマニア)

1990-92 レアル・マドリード(スペイン)

1992-94 ブレシア(イタリア)

1994-96 FCバルセロナ(スペイン)

1996-01 ガラタサライ(トルコ)

概略

左足から天才的かつ芸術的なプレーを紡ぎだし、「東欧のマラドーナ」と呼ばれた名選手。また熱いファイティング・スピリットを持ち度々イエローカードを貰っている姿も印象的だった選手。

1983年8月10日ノルウェー戦に18歳でルーマニア代表デビュー。19歳で欧州選手権の舞台に立つ。

ズボルトゥールで20得点、31得点(得点王)の活躍を見せるとチャウチェスクの目にとまり、ビッグイヤーも獲得したステアウア・ブカレストに引き抜かれ、ハジ加入以後、ステアウアはカップを含む3連覇、リーグ5連覇の記録を残すことになる。

またステアウアは欧州の舞台でも結果を残し、1987-1988シーズンにはチャンピオンズリーグ得点王、1988-1989シーズンにも6得点でチームを決勝まで導いた。(決勝はACミラン、アリゴ・サッキのプレッシングサッカーの前に完全に沈黙、完敗している。)

1990年ワールドカップイタリア大会で世界的な注目を浴び、1994年W杯アメリカ大会で世界に一躍名を轟かせるコロンビア戦のスーパーシュートを含むルーマニアの殆ど全ての得点に絡む活躍を見せ、ベストイレブンにも選出された。

1996年欧州選手権、1998年W杯に出場し、一時代表引退、1999年ハンガリー戦にて代表復帰、2000年欧州選手権に出場し、決勝トーナメント1回戦、イタリア戦にて代表として終止符を打った。125試合に出場、86試合をキャプテンとして務め、35得点の記録を残した。

功績を認められFIFA100にも選ばれている。

クラブレベルでは1990年W杯以後、レアル・マドリードに移籍するも目立った活躍ができず、ブレシアに移籍、2部降格と1部昇格のシーズンを送る。1994年W杯以後ドリームチームと呼ばれるバルセロナに入団したもののこれまた目立った活躍ができず、トルコのガラタサライに移籍。入団以後ガラタサライをリーグ4連覇に導き、2000年には、クラウディオ・タファレルと共に経験の浅いトルコ人選手を引っ張り、ガラタサライ初の欧州タイトルuefa杯獲得に貢献し、2001年に現役引退した。

現役引退以後、ルーマニア代表監督に就任するものの、2002年W杯に出場できなかったとして辞任、その後トルコ、ブルサシュポルの監督に就任、2004年3月にファティヒ・テリムの後を継ぎ、ガラタサライの監督を務めた。

2005年5月30日、クラブ創立100周年の年にリーグ優勝およびチャンピオンズリーグ出場を果たせなかったとして、アタチュルクスタジアムにおける決勝でフェネルバフチェに大勝して優勝したものの、クラブの援助が得られないとして辞任。

「試合後のロッカールームで選手たちに、今後は彼らの監督ではなく、私のチームでの仕事は終わったことを伝えた。こういう形になったことは、ただ残念だと言える。選手として、監督として、ガラタサライで過ごしたことはとても栄誉なことであった。私はいつでも、できることのすべてを出すために努力してきた。そしてひとつの素晴らしい目標と、いくつかの目標を達成することもできたと信じている。目標のすべてのことを成し遂げるには、それなりの援助がなければ難しいことだ。人生はまだまだ続くのだから、これでめげるわけにはいかない。だが、今後はとても多く感じるプレッシャーは望まない。より落ち着いた人生を歩みたい」

とのコメントを残して去った。

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