クロード・マケレレ

クロード・マケレレ

Claude Makélélé フランス国籍のサッカープレイヤー

1973年2月18日 ザイール(現コンゴ)、キンシャサ出身  174cm 70kg

所属クラブ

1991-92 スタッド・ブレストワ29 (フランス)

1992-97 FCナント・アスレティック (フランス)

1997-98 オランピック・マルセイユ (フランス)

1998-00 セルタ・デ・ビーゴ (スペイン)

2000-03 レアル・マドリード (スペイン)

2003- チェルシーFC (イングランド)

概略

ザイールからフランス、ブレストに渡りブレストのアカデミーに加入しプロデビュー。

1992-93シーズン、レイノー・ペドロスと共に名門、財政難で主力を多く放出したナントに加入。ジャン・クロード・スオドー監督下、初年度からレギュラーとして活躍。94-95シーズン、33試合に出場し優勝に貢献した。

1997年にスオドーが監督を辞すると自身はオランピック・マルセイユに移籍。マルセイユでは右サイドバックとして起用され思うようなシーズンとはいかなかった。

1998年、スペインのセルタへ240万ユーロで移籍、ビクトル・フェルナンデス監督下、初年度から35試合に出場するなどの活躍で5位、uefa杯出場に貢献した。

2000年、1,400万ユーロでレアル・マドリードに加入。当時レアル・マドリードの中盤を一手に担ったフェルナンド・レドンドが去った00-01シーズン、レドンドとは異なるがチームの中盤の守備を一人で担う活躍でリーグ優勝に貢献。翌01-02シーズンは前シーズンにボランチとしてコンビを組んでいたイバン・エルゲラがセンターバックにコンバートされた中で、同時に入団会見を行ったフラビオ・コンセイソンとのコンビ、もしくは一人で中盤の守備を引き受け、リーグ優勝は逃したが、チャンピオンズリーグ制覇に大きく貢献する働きをした。決勝戦では73分にフラビオ・コンセイソンと交代。それまで一人で中盤の守備を全うしていた。

02-03シーズン、ロナウド、ラウル・ゴンサレス、ジネディーヌ・ジダンルイス・フィーゴら攻撃陣が煌びやかな輝きを放っている中で中盤の守備を担い、エステバン・カンビアッソ、フラビオなどと共に輝きを放つチームを支え、リーガ制覇に貢献した。

03-04シーズン前、チームに給料の上昇を望んだがフロントは消極的な姿勢を見せ、彼は練習をボイコットするなど確執が生まれ、移籍期限ギリギリの8月31日、イングランド、チェルシーへ1600万ポンド、4年契約で移籍した。

加入したチェルシーにおいても中盤の守備を担い、これによって同じセントラルハーフ、フランク・ランパードの攻撃参加の場面が増えることとなった。シーズンでは30試合に出場、リーグ2位となる一因となった。チャンピオンズリーグでは準決勝ASモナコ戦の第1戦でバシリス・ジコスに叩かれたフリをし審判を欺く行為として警告を貰い、累積警告による出場停止となった。彼を欠いた第2戦は、2点を先制しながら追いつかれ敗退となった。

04-05シーズン、新監督ジョゼ・モウリーニョとなっても中盤での彼の活躍は認められ、チームは50年ぶりのリーグ優勝をし、優勝を決めた後のチャールトン戦で、PKを任され祝杯のゴールを一応決めた。逆に彼を放出したメレンゲスは2シーズン無冠のままでいる。


フランス国籍を1993年に取得、1995年7月22日のノルウェー戦で代表デビューをし、1996年アトランタ五輪に出場したが、当時のフランス代表にはディディエ・デシャン、エマニュエル・プティ、クリスティアン・カランブー、パトリック・ヴィエラ等の素晴らしい選手がおり、代表に選ばれることは多くなかった。

2002年にW杯のメンバーとして選出され、エマニュエル・プティが累積警告で出場停止となった第3戦、デンマーク戦に出場したが、チームはデンマークに破れ、グループリーグで姿を消した。

2004年、欧州選手権に代表に選ばれ、中盤の底として出場をしたが、チームは準々決勝で敗退。この大会を機にクラブでの活躍に専念するため代表から引退した。

2005年、8月4日、同じく欧州選手権で代表引退をしていたジネディーヌ・ジダンと共に代表復帰を発表。W杯予選、不振に喘ぐレ・ブルーを救えるかどうか。

個人評

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