オリヴァー・ビアホフ

オリヴァー・ビアホフ

Oliver Bierhoff ドイツ人サッカー選手

1968年5月1日 カールスルーエ生まれ 191cm・90kg

ポジションはフォワード

所属クラブ

1986-88 バイヤー・ユルティンゲン(ドイツ)

1988-90 ハンブルガーSV(ドイツ)

1990 ボルシア・メンヒェンングラートバッハ(ドイツ)

1990-91 SVザルツブルグ(オーストリア)

1991  インテル・ミラノ(イタリア)

1991-95 アスコリ・カルチョ(イタリア)

1995-98 ウディネーゼ・カルチョ(イタリア)

1998-01 ACミラン(イタリア)

2001-02 ASモナコ(フランス)

2002-03 キエーヴォ・ヴェローナ(イタリア)

概略

1985年、ユルティンゲンのジュニアチームで30得点を上げ、翌年プロデビューを果たす。ドイツのユース代表にも選ばれるなどして期待されてはいたが、2シーズンで4得点しかできず、カール・ハインツ・フェルドカンプ監督の解任によって、居場所はさらになくなりクラブを転々とするも活躍はならず、失意のままに隣国オーストリアに新天地を求め、クルト・ヴィーバッハ監督の下32試合23得点の活躍を納め、自身憧れの国、イタリアへ。インテルに加入するも1試合も出場しないままアスコリへ移籍。チームは降格するという苦い経験をするものの、そのまま残り、3シーズンで46得点という記録を残すと、活躍を認められてウディネーゼへ引き抜かれる。このシーズン就任したアルベルト・ザッケローニ監督の下で3シーズンで57得点、1997-1998シーズンは27得点で得点王も獲得する。1998年にザックがミランの監督に就任するとトーマス・ヘルヴェグとともにミランに移籍。34試合全試合に出場し20得点を記録。10位、11位と2シーズン下位に喘いでいたミラン復活の優勝の原動力となった。

翌シーズン加入したアンドリー・シェフチェンコの台頭、忍び寄る年齢の影で出場機会、ゴール数が減り、ザックが解任された2000-2001シーズン終了後、フランスのASモナコに移籍。しかし、モナコで監督のディディエ・デシャンと対立し1シーズンで退団。キエーヴォへ移籍。最終節のユヴェントス戦ではハットトリックに有終の美を飾り、キエーボのベガルタ仙台との親善試合で最後の勇姿を見せ引退した。通算431試合185得点

ドイツ代表としては、デビュー戦の1996年2月21日ポルトガル戦を含む2試合しか出場していなかったが、ベルティ・フォクツ監督が1996年欧州選手権代表に選出。チェコとの決勝戦、パトリック・ベルガーのPKによって先制されたドイツは69分にビアホフを投入、79分にヘディングでゴールを決めると、延長戦95分にゴールデンゴールを決め、ゴールデンボーイとして世界に名前を知らしめた。1998年、W杯フランス大会では、対ユーゴスラヴィア戦で素晴らしいヘディングシュートを決めるなどしたがクロアチアに破れベスト8。2000年欧州選手権は1試合出場に止まったが、2002年W杯、予選で1得点も出来ず出場が危ぶまれたが、テストマッチ3試合において5得点を決め代表に入り、グループリーグ、サウジアラビア戦で見事なミドルシュートを決めるなど5試合に(全試合途中出場だったが)出場。決勝戦ブラジル戦を最後に代表を引退した。通算65試合37得点

2004年、ユルゲン・クリンスマン氏がドイツ代表監督に就任すると、ドイツ代表のマネージャー職についた。

個人評

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