オリヴァー・ノイビル

オリヴァー・ノイビル

Oliver Neuville ドイツ国籍のサッカープレイヤー 

(出生の都合上ヌビルと表記することも多い。ところで、vなのにノイヴィルと表記しないのは日本語では言いにくいからだ。統一感の無い作者である。)

1973年5月1日 スイス、ロカルノ(イタリア語圏)生まれ 171cm・64kg

所属クラブ

1992-96 セルヴェッテ(スイス)

1996-97 テネリフェ(スペイン)

1997-99 ハンザ・ロストック(ドイツ)

1999-04 バイヤー・レヴァークーゼン(ドイツ)

2004- ボルシア・メンヒェングラートバッハ(ドイツ)

概略

スイス、ロカルノ生まれで父親がベルギー系でアーヘン出身のドイツ人、母親がイタリア人というコスモポリタンな家庭に育つ。地元ロカルノに91-92シーズン所属した後、92ー93シーズンからセルヴェッテFCにて活躍した後、96-97シーズンからスペインのテネリフェに所属したところを、リーネン監督に見いだされ、翌97-98シーズンから旧東独のハンザ・ロストックに移籍し、同じ年に移籍したマルコ・レーマーらと共に活躍しチームを6位に導く。しかしながら翌シーズンには14位と低迷し、リーネンも解任。そして00-01シーズンにはノイビルはバイヤー・レヴァークーゼンに移籍、01-02シーズンにはブンデスリーガ準優勝、ドイツカップ、チャンピオンズリーグおいて決勝進出の成績に導く一端となった。

03-04シーズンになると、ケガもあり活躍の場も少なくなったこともあり、契約を更新されることなく、04-05シーズン前にボルシアエンヒェングラートバッハに移籍した。

開幕すると6試合連続ゴールをするなど序盤は好調。不甲斐ないドイツ代表勢に比べ実力を見せるも中盤にケガで離脱。チームは迷走。復帰後今度はゴールが決まらなくなってしまうわ、監督交代で出場時間が少なくなったりしたが、大事な試合で貴重なゴールもし、チームの降格の危機から救った。

代表としては、イタリア代表、スイス代表という選択肢もあったものの、1998年9月2日のマルタ戦にドイツ代表として出場した。2000年EUROでは代表候補になったものの、リベック監督の2トップ構想に漏れ、主要国際大会でのデビューは2002年のW杯。しかし、グループリーグではカルステン・ヤンカー、ミロスラフ・クローゼの2トップの前に控えとなるが、決勝トーナメントを前にヤンカーの不調を理由にスタメンの機会が訪れ、1回戦パラグアイ戦では88分に決勝ゴールを挙げ、トーナメントは以後4試合ではスタメンに名を連ねた。2004年EUROでは、直前にケガをしたこともあって、代表に選出されなかった。

2005年、2月6日ユルゲン・クリンスマン監督は2月9日アルゼンチンとの親善試合において、ルーカス・ポドルスキーの負傷によりオリヴァー・ノイビルを久々に代表招集。ところが、ノイビル自身もふくらはぎ負傷で離脱。代わりにトーマス・ブルダリッチが追加招集されることに。

2005年、3月のスロバキア戦以来の招集となったトルコ戦でベルント・シュナイダーからのクロスを右足で合わせ、W杯パラグアイ戦以来のゴールを決めた。

個人評

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