エイドゥール・グジョンセン

エイドゥール・グジョンセン

Eidur Smari Gudjohnsen (現地語表記ではEiður Smári Guðjohnsen) エイドゥール・スマーリ・グジョンセン

アイスランド人フットボールプレーヤー

1978年9月15日、レイキャビク出身

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1994-1995 バルル・レイキャビク(アイスランド)

1995-1998 PSVアイントホーフェン(オランダ)

1998 KRレイキャビク(アイスランド)

1998-2000 ボルトン・ワンダラーズ(イングランド)

2000-2006チェルシーFC(イングランド)

2006- FCバルセロナ (スペイン)

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アイスランド代表のアルノール・グジョセンの息子として生を受け、(当時父親の年齢は17)父の活躍していたベルギーで幼少時代を過ごし、ブシュッセジェムというクラブでフットボールを始める。

父親の引退に伴って母国へ帰国し、バレルへ入団。15歳でファーストチームをデビューを果たす。1995年に、フランク・アルネセンディレクターに引き抜かれてPSVに入団。当時はロナウドもいたがチームが才能としてはグジョンセンを買っていたという話がある。ところがルカ・ニルス、レネ・アイケルカンプといったFWも存在は大きく、最初のシーズンは13試合の出場にとどまり、1996年暮れに両足骨折、選手生命も危ぶまれたが復帰後KRにレンタル移籍させたあとに、シーズン後PSVは放出を決意する。

1998年にイングランドのボルトンに移籍、99-00シーズンに21ゴールという大活躍を見せると、ジャンルカ・ヴィアリ監督率いるチェルシーに400万ポンドで引き抜かれた。

加入したシーズンはジャンフランコ・ゾラの控えということが多かったが10ゴールを記録、翌ジーズンになるとクラウディオ・ラニエリ監督が心身に育てた結果が伴いゾラを控えに追いやる活躍で32試合に出場13ゴールを記録した。02-03シーズンはリーズ戦で素晴らしいオーバーヘッドキックを決めるなどチームの主力として35試合に出場10ゴールを決めて、チームの4位、チャンピオンズリーグ出場に貢献した。

ロマン・アブラモビッチ会長が就任し、エルナン・クレスポ、アドリアン・ムトゥなどと言った錚々たる顔ぶれのFWが揃うこととなった03-04シーズン、信頼に疑問を感じたのか、カジノで一夜にして40万ポンドもすっている。上々だ。しかし新戦力が機能しない事と比べると、ラニエリ監督の信頼厚く、出場機会は多くなり、チャンピオンズリーグ、準々決勝、アーセナル戦で決勝点のアシストとなったポストプレーは素晴らしいモノで、会長、取締役からも高い評価を得るようになり4年の契約延長を獲得。

帝国を作ることを目論む会長であるが、FW獲得に関しては慎重で、グジョンセンを信頼する姿勢を見て取れたが、新監督のジョゼ・モウリーニョはワントップを得意とする監督であるためにトップではディディエ・ドログバを起用したが、足下の技術の高さ、チェックを常にし続ける姿勢を高く評価し、中盤やウィングの位置での起用をすることとなったが、特に中盤においては舵取りが非常に上手いこともあって、監督からは「ブロンドのマラドーナ」と評させるほどで、リーグ戦37試合に出場し、50年ぶりの優勝に貢献した。

チャンピオンズ決勝トーナメント1回戦、2ndレグ、ドログバが退場により出場停止、前線の敗北から得点を必要とさせるチームはマテヤ・ケズマンとグジョンセンのツートップを選択、ケズマンの右からの折り返し、20mほど走り込んでクロスを受けると左足で切り替えて倒れ込みながら右足のシュートを撃ち素晴らしいゴールを決めた。しかし、準決勝のロスタイム、最後のシーンで右からの角度のない場所からのシュートが外れ敗退となると、人目をはばからず涙した。彼にとって、代表での活躍が大きく見込めない分、チャンピオンズリーグは大舞台である。

05-06シーズン、クレスポが2シーズンぶりに復帰、やっぱりモウリーニョはグジョンセンをセントラルミッドフィールダーとして起用を考えるが、このポジションにマイケル・エッシェンが加入し出場機会は25試合、2ゴールという結果にとどまった。

新戦力にアンドリー・シェフチェンコミヒャエル・バラックという名前の加入に伴い、自身の出場機会を求めて移籍を志願。モウリーニョ、アブラモビッチを移籍も許可し、1170万ユーロで、ヘンリク・ラーションの移籍によってFWを求めていたバルサへと移籍することとなった。


代表としては13歳でU16の代表に入ると、1996年4月、親善試合のエストニア戦において17歳でファーストチームデビュー。父親と交代して入るというなかなか珍しい登場である。

EURO2000の予選でフランス、ウクライナ、ロシアといった相手の中で躍進の原動力となったが、ロシア戦、ウクライナ戦を落としたことが響いて主要国際大会初出場はならなかった。

代表ではFWとしてではなく、トップ下、中盤としてチームを支える働きをするキャプテンである。彼の主要国際大会での活躍はいつか見られるのだろうか。

個人評

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