インテル・ミラノ

インテル・ミラノ

Internazionale Football Club di Milano

インテルナツィオナーレ・ミランとまで名称で書く場合があるが、正式名称で書く文章というのは珍しい。通例はインテル。長くてもインテル・ミラノあたりで抑えている。

イタリア、レガ・カルチョ、セリエA所属のフットボールクラブチーム。

1908年、"Milan Cricket and Football Club"から分離独立。

チームカラー:青、黒、金

ホームスタジアム:スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ Stadio Giuseppe Meazza 収容人数8万5847人

1947年よりACミランと共用で使用している。毎節試合があり、1990年の改装により半透明の屋根が付けられたが、これに埃が溜まり、陽光をいれなくさせ、世界でも芝の悪いスタジアムとして有名である。(しかし、UEFAのGradeは5Starとなっており、2001年チャンピオンズリーグの決勝となった)インテルは度々、自らのホームスタジアムを建設する話が浮上するが、現実となっていない。芝のために早く何か対応策をとったほうが良い。

愛称は、チームカラーよりNerazzurro(i)、ロゴであるビスコンティ家の紋章からBiscione,またLa Benramata。


会長 Presidente:ジャチント・ファケッティ Giacinto Facchetti

副会長 Vice Presidenti:カルロ・ブオラ Carlo Buora

            リナルド・ゲルフィ Rinaldo Ghelfi

取締役 Consiglio di amministrazione: Carlo Buora, Carlo D'Urso, Maurizio Fabris, Giacinto Facchetti, Mauro Gambaro, Paolo Giulini, Marco Gastel, Rinaldo Ghelfi, Luigi Amato Molinari, Natalino Curzola Moratti, Ernesto Paolillo, Pier Francesco Saviotti

Collegio Sindacale: Giovanni Luigi Camera, Paolo Colombo, Antonio Usuelli

ゼネラルディレクター Amm. delegato e direttore generale:マウロ・ガンバロー Mauro Gambaro

渉外および安全対策 Direttore per le relazioni istituzionali e sicurezza: ステファノ・フィルッチ Stefano Filucchi

テクニカルディレクター Direttore tecnico:マルコ・ブランカ Marco Branca

移籍相談役 Consulente di mercato:ガブリエレ・オリアリ Gabriele Oriali

チームマネジャー Team manager:ギド・スシーニ Guido Susini

宣伝担当 Direttore commerciale:マルコ・サベッタ Marco Sabetta

法人担当 Direttore servizi corporate:ジュゼッペ・リッツェッロ Giuseppe Rizzello

財務担当 Direttore amminstrazione, finanza e controllo:パオロ・ペッシナ Paolo Pessina

情報担当 Direttore comunicazione:パオロ・ヴィガーノ Paolo Viganò

編成担当 Direttore editoriale:スザンナ・ウェメリンガー Susanna Wermelinger

監督 Allenatore:ロベルト・マンチーニ Robert Mancini

助監督 Allenatore in seconda:Fernando Orsi

テクニカルアシスタント:Assistente tecnico Fausto Salsano

GKコーチ Preparatore Portieri:Giulio Nuciari

メインスポンサー:Pirelli(同社創業者Piero Pirelliはミランを創設)

ユニフォームサプライヤー:Nike


歴史

1908年3月、Milan Cricket and Football Clubは外国人選手であるHernst Manktlの加入に関して、対立。積極派が分離してFootball Club Internazionale Milanoを設立。名の通り、イタリア人のように外国人選手を受け入れる精神を重んじている。

1928年、ファシスト党政権によりミラネーゼ Unione Sportiva Milaneseと合併させられ、Ambrosiana Interと名乗ることとなった。ユニフォームも白に赤い十字とさせられた。

1945年、戦争終結によりチーム名をInternazionale Milanoとなった。

獲得タイトル

リーグ優勝:13回(1910,1920,1930,1938,1940,1953,1954,1963,1965,1966,1971,1980,1989)

カップ優勝:4回(1939,1978,1982,2005)

チャンピオンズリーグ優勝:2回(1964,1965)

uefa杯優勝:3回(1991,1994,1998)

ライバル

同じミラノを本拠地とするACミランは創設からの因縁を持つクラブであり、ミラノダービーは聖母子ダービーDerby della Madonninaと呼ばれ街を二分する戦いとなる。思想上インテルは労働者階級のクラブであり、ミランを率いるは右派のシルヴィオ・ベルルスコーニという事実もこの戦いを激しく盛り上げる。

またユヴェントスとインテルだけが、セリエAから降格をしたことのないクラブチームとして、この2チームによる戦いはイタリアダービーDerby Italianoと呼ばれる。

概略

1995年、かつてグランデ・インテルを築いたアンジェロ・モラッティの三男、マッシモ・モラッティが会長に就任。しかし、彼の累計4億ドルにも及ぶ投資で獲得したタイトルは1997-1998シーズンのuefa杯だけであった。97-98シーズン、国内リーグはユヴェントスとの直接対決に敗れて以降突き放されて2位。

99-00シーズン、マルチェロ・リッピを監督と招聘するもタレント集団たちとの確執により険悪なムード漂うシーズンとなった。パルマと戦った4位を決めるプレーオフで試合を決めたのはロベルト・バッジョ。リッピに冷遇された彼が2ゴールを決め4位を決める皮肉な結果となった。「リッピが残るなら自分が去る」と彼は去った。

しかし、翌00-01シーズンの開幕戦で敗れたリッピは「私がオーナーなら監督をクビにして、選手達一人ずつケツを蹴ってやりたい」と言ったことでしっかりとクビになり、最終的には戦力はベテラン頼りになって5位に終わった。

最も優勝が近づいたのは2001-2002シーズン、エクトル・ラウル・クーペル監督下、カウンターを主体とする攻撃が機能。首位で迎えた最終節のオリンピコ、ラツィオ戦で4失点を喫し敗戦。大逆転でユーヴェ、ASローマに抜かれ3位となった。

翌2002-2003シーズンも中盤戦まで首位を守ったが、ユヴェントスとの直接対決を落として以降、下位との取りこぼしもあって2位。チャンピオンズリーグでACミランとのユーロダービーが実現したがアウェーゴールルールにより、合計得点は同じ引き分けながら破れた。

2003-2004シーズン、クーペルの要求するサイドのアタッカーを補強。チャンピオンズリーグ、アーセナル戦で見せた強さから期待されたが、セリエでは開幕から不調。ミラノダービーでの采配に怒りを感じたモラッティはクーペルを解任。クーペルとは違い3-4-3を得意とするアルベルト・ザッケローニを招聘。しかし、それでもチームは好転せずチャンピオンズリーグでは最終節、キエフでのディナモ・キエフ戦を引き分けで落としグループリーグ敗退。年が明けるとエンポリに破れたことで、1月19日、モラッティはついに辞任した。

結果、モラッティ政権下、タイトルは結局夢に終わり、副会長であり、元インテル及びイタリア代表、鉄のキャプテン、ジャチント・ファケッティが会長に就任。

ロベルト・マンチーニを監督として招聘。シニシャ・ミハイロビッチ、ファン・セバスチャン・ベロンらを獲得し豪華な陣容で臨んだが、公式戦40戦連続無敗という記録を作ったが、引き分けが多く勝ちきれない試合も多く、ユヴェントスACミランに大きく突き放された3位となった。しかし、コッパ・イタリアを制し、国内タイトルを16年ぶりに獲得することには成功した。

2005-2006シーズン、ルイス・フィーゴ、サンチャゴ・ソラーリら、またも豪華補強を敢行。さてどうなるやら。

個人評

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