イェンス・レーマン

イェンス・レーマン

Jens Lehmann ドイツ人サッカープレイヤー

1969年11月16日生まれ、190センチ、87キロ

在籍クラブ

1987-98 シャルケ04(ドイツ)

1998-99 ACミラン(イタリア)

1999-03 ボルシア・ドルトムント(ドイツ)

2003- アーセナル(イングランド)

概略

プロとしてのデビューは88-89シーズン、シャルケ04(当時2部)。以後正GKとして活躍し、90-91シーズン34試合に出場し2部優勝、1部昇格に貢献する。

95-96シーズン、レーマンはインテル・ミラノとのuefa杯決勝、PK戦でファインセーブを見せ、シャルケに初の海外タイトルをもたらす。

10シーズンに渡って在籍したシャルケから、98年ACミランに移籍する。開幕戦ペルージャ戦で勝利に貢献したものの、セバスティアーノ・ロッシとのポジション争いに敗れ出場は5試合にとどまる。98年冬にボルシア・ドルトムント(シャルケのライバル)に移籍する。

ドルトムントでも正GKとして活躍し、01-02シーズンにブンデスリーガ優勝とuefa杯準優勝という成績に導いた。

02-03シーズンの彼の素晴らしい活躍はブンデスリーガ1シーズン2退場(対バイエルン・ミュンヘン戦、それによってGKを委されたヤン・コラーのPKセーブ、対シャルケとのルールダービーでは味方のアモローゾにキレて警告、2枚目で退場というファンタジーを演出した)、そしてマティアス・ザマー監督(当時)がベンチを壊すほど荒れ狂った、チャンピオンズリーグでの対レアル・マドリード戦の活躍だったのかもしれない。ハビエル・ポルティージョにロスタイムにゴールを決められるまで鬼神とも思えるほどの動きで、ロベルト・カルロスの27m超弾丸シュートをパンチングで弾いたり、恐ろしいまでに速い反応速度を見せたりしただけに、非常に勿体なく、この試合で勝ち点2を喪失したことが結果的に2次リーグ敗退に繋がった。

03-04シーズンに、イングランドのアーセナルに移籍。13年に渡ってアーセナルのゴールマウスを守ったディビッド・シーマンから背番号「1」を受け継ぎ、アーセナルでも正GKを任されリーグ戦38試合フル出場26失点で、アーセナルの無敗優勝に大きく貢献した。

2004-2005シーズンはチャンピオンズリーグ、グループリーグ第4節パナシナイコス戦にて、見事なファンタジーを演出。プレミアリーグにおいても、リヴァプールに2失点を喫し、スタメンの座から外れ、マヌエル・アルムニアに譲るが、2005年に入って、アルムニアがハイバリーにてマンチェスター・ユナイテッドに対してアルムニアが4失点を喫して以来、スタメンに復帰した。

チャンピオンズリーグ、1回戦は対バイエルン・ミュンヘンオリヴァー・カーンとの直接対決を大きく報じられたが、オリンピア・シュタディオンでは好セーブを見せるもののディフェンスラインの乱れも伴って3失点、ハイバリーでは無失点に抑えたものの、チームは敗れてしまった。

FA杯決勝戦において、圧倒的にマンチェスター・ユナイテッドに攻め込まれる中、砦として君臨、PK戦でも活躍し、優勝に貢献。シーズン無冠となることを阻止した。

2005-2006シーズン、決勝トーナメント1回戦、レアル・マドリード戦において、ラウル・ゴンサレスのシュートを信じられない反応速度で弾いて、3年越しの復讐を果たした。


ドイツ代表デビューは1998年のオマーン戦。実力は認められ何度もドイツ代表に名を連ねるものの、アンドレアス・ケプケ、さらには同年生まれのオリヴァー・カーンの前に主要国際大会での経験はなく、代表での出場は2004年6月までに19試合しかない。しかし、2004年7月就任したユルゲン・クリンスマン新監督はGKコーチゼップ・マイヤーを解任してまで、GKのターンオーバーを主張。2005年コンフェデレージョンズカップ、チュニジア戦、ブラジル戦にてピッチに立つことが叶い、この大会が公式戦として彼の初舞台となった。2006年、彼は母国ドイツでピッチに立っているのか気になるところ。開幕戦のスタジアムは、ミュンヘンのアリアンツ・アレーナだが。

2006年4月7日、ドイツサッカー協会からの発表により、正GKとして背番号1を着けて戦うことが決定。活躍が期待される。

個人評

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