アーセン・ヴェンゲル

アーセン・ヴェンゲル

Arsène Wenger フランス人サッカープレイヤー、監督

1949年10月22日 ストラスブール(アルザス)生まれ

(Arsèneはアルザス語で読むそうでフランス語のアルセーヌではなく、加えてWengerもアルザス、ドイツ語の読みとなる。フランス語で統一したいならアルセーヌ・ウェンゲルで、英語でアーセン・ウェンガーとなるが、何故か日本の表記は発音とはかけ離れたベンゲルになってしまった。不思議だ。スイスの会社Wengerは日本ではウェンガーと呼ばれるのに。)


概略

選手時代

AS Mutzig,FC Mulhouse,AS Vaubanなどでアマチュアの選手として活躍している傍ら、1974年ストラスブール大学で経済学の修士を得た。プロの選手となったのは1978年。ラシン・クルブ・ストラスブールでもディフェンダーとして働いたが、チームは名将ギルバート・ジレスの下でフランスリーグ優勝はしたが、選手として大きく名を残すことはなかった。しかし、彼はジレスの手法を身につけることができたのである。

監督時代

1981年、監督資格を得るとRC Strassbourgのユースチームのコーチに就任。(当時監督はロジェ・ルメール)1983年にAS Cannesでのアシスタントコーチを経て、1985年にAssociation Sportive Nancy-Lorraineの監督に就任。13位,18位,19位と良いとは言えない成績を残し、チームを2部に降格させて解任された。

1987年、ASモナコに就任。就任したシーズンにフランスリーグ優勝を果たし、以後充実したユースシステムを確立し、7年間監督として活躍。黄金時代のオランピック・マルセイユに敵わなかったものの、1990年にフランスカップ優勝を果たしている。

1994年、オランピック・マルセイユの八百長事件が発覚すると嫌気がさして、フランスおよび欧州の舞台から離れることを決意。1995年、突然、日本の名古屋サロンパスエイトの監督に就任。

とりあえず、タイトルで獲得をしたが日本での活躍は欧州での評価に至らないことを痛感して、欧州に戻ることを決意。イングランド、アーセナルの監督(イングランドにいうManegerに当たる訳語がない)に就任した。

イングランドにおける、試合前にビールを飲んだり、フィッシュアンドチップスを食する習慣に唖然とし、チームにもたらした改革は生活習慣の改善。食事療法を取り入れたり、心理療法を取り入れたりなど内部からの改革も始めた。

戦術に関してもイングランドスタイルから得意のフラットな4バック。ショートパスを多用し、スピード溢れるサッカーを展開、97-98シーズン、ダブルを達成した。

イングランドでは2度のリーグ制覇、無敗優勝、無敗記録などの記録を残したが、欧州のタイトルを得ることはできず、2000年のuefa杯準優勝が最良の結果で、チャンピオンズリーグでは03-04シーズンベスト8が最高成績である。

活躍の度合いが増すと、1998年日本代表監督就任のオファーが届く。本人は「代表監督など老人のする仕事」という事でフィリップ・トルシエを推薦してあしらい、2004年のドイツ代表就任のオファーも固辞し、クラブでの欧州制覇を目指している。

* はてなダイアリーキーワード:アーセン・ヴェンゲル