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2013-06-27-Thuプレイメーカー達に恵まれた 2/3 このエントリーを含むブックマーク

3) プレイメイキングするセンターバック

伝統にセントラルディフェンダーは相手のセンターフォワードをマンマークするわけだが、今やストライカー達もマンマークすることを求められている、新しい種類のディフェンダーによる攻撃の影響を制限するためだ。

ロビン・ドゥットはこの戦術の先駆けで、バイヤー・レバークーゼン時代、マッツ・フンメルスがドルトムントの真のプレイメーカーであると判断を下し、自分のチームのストライカーに、フンメルスに対しあらゆる機会で密接し塞いでしまえとオーダーした。

センターバックはUEFAチャンピオンズリーグの大会の中で重要な役割となった。ドルトムントは彼らの本来のポゼッションベース、カウンタープレッシングゲーム(注:ゲーゲンプレスなんて言葉が英語にない)を制御し、対戦相手のマークが薄い故、カウンターアタックを発動させるカギであるからだ。

これらの試合に於いて、フンメルス、彼は前へドリブルすることおよび相手選手と対峙することを厭わない、主要なバックラインの射手でいられた。彼はディフェンシブラインの高い位置に座乗し、相手守備との空中戦を行い、オフサイドドラップをおこす、また相手のサイドにボールを上げて、そのスペースに自軍のウィンガーを走らせる。頻繁にピルロの地域、センターサークル付近に進出する、彼もまたミッドフィールドを横断するロングレンジのデイジーカッター(注:軍事用語で薙ぎ払う爆弾ことのである)とスライド軌道のパスを偏愛する。彼のプレーの多くはルートワン(注:縦に一直線)であるが、むやみやたらなパントではなく、ロングレンジの視野がひらめいてのことである。

このポジションにおける偉大な選手は間違いなくジェラルド・ピケである、彼は半ば公式的にピケエンバウアー(Piquenbauer)として知られている。2011/12シーズン、ピケは骨折のシーズンをおくり、バルセロナは幾分輝きに影を落とし、ピケのプレーがブラウグラナ、2010/11シーズンにリーガとチャンピオンズリーグを制した、にどれだけ重要だったかを鮮明にした。"彼は完璧なシーズンを過ごした"殿下手のはティト・ビラノバ、当時アシスタント、2011年から監督。"我々はピケが離脱しないことを祈っていたことを指摘するよ。もし彼が負傷したら、我々の発明は抜け落ちてしまう。我々は恐ろしい量の疲労を露呈したんだ"

ピケはバルサのティキタカに不可欠な存在だった。彼は何度かの試合でパスの回数が100を超え、UEFAチャンピオンズリーグの出場した試合でパス成功率が90を切ったのは2回だけだった。単なるフルバックやホールディングミッドフィールダーの栓(tap)ではなく、ボールの雨(spray)をハーフウェイラインから、あるいは越えて、通常右サイド斜めから送ると同時に、ピケはダニエル・アウベスの前方への進出をカバーしていた。ティキタカをしていないとき、ピケは反対サイドにプレーを切り替えたり、長い対角線のボールをファイナルサードに送っていた。

2010/11、準々決勝、バルセロナが5-1でシャクタールドネツクを破った試合、ピケはウクライナのチームのプレッシングの第一線をこじ開けた。準決勝のファーストレグ、レアル・マドリードの本拠地での勝利は、彼、セルジオ・ブスケ、シャビ・エルナンデスがチームの脳であった。いつもよりはやや深い位置から遂行しながらピケは90本のパスを96%の成功率で通した。

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