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2005-12-25-Sun9日目

こんな時に、ディ・ステファノ名誉会長も入院かよ。

急性肺浮腫やら心臓発作やら原因は色々と。

(意識はあって大丈夫らしいけど)

彼のクリスマスカードの話を「熱狂的」から

レアルマドリードのアルフレド・ディ・ステファノ名誉会長が、レアルマドリード・コムを通してクリスマスのメッセージを送りました。伝説の名選手、ディ・ステファノ氏は、レアルマドリードのOB連盟の会長も務めていますが、レアルマドリード・ファンに対して愛情に満ちた言葉を発しました。また、世界最高のクラブの過去と現在についてもコメント。

「まず最初に、皆さんの健康とご多幸をお祈りします。我々、レアルマドリード関係者は、更なる勝利とタイトルを得ようと願ってますが、間違いないことは、常にできるものではないと言うことです。と言うのも、ある時は上手くプレイしても、また別の時は拙いプレイがありますので。逆もまた真と言えるでしょう。それはサッカーが始まって以来のことです。

レアルマドリード・コムからファンの皆さんの日頃の声援に感謝の気持ちを送ります。どうか選手をサポートしてあげてください。更に前進するため、”若者達”が全力を尽くして闘おうとしているのは間違いありませんので。チームがそれに応えることに大きな期待を持ってます。それが新たな年にできなければ更に次の年があるでしょう。

健康と気力が基本です。現状、スポーツ面では複雑で厳しいものがありますが、立ち直ることは可能です。ファンの皆さんは我慢してるに違いありませんが、現状を克服できると理解していただいてると思います。

私は、長年、レアルマドリードにいます。リーグのタイトルを獲得するのに3年以上要した時代もありました。我々、OBは、直ぐにもチームが更に前進するだろうと考えています。ファンの皆さんからの大きな愛情を感じてます。それは我々の名声以上のものだと考えています。シーズンを通して金銭的な負担(ソシオ・アボナード)がありますので、満足度を高める必要がありますし、相手に対して闘う精神をお見せする必要もあります。

私の時代にも選手が上手くプレイしなければ批判はありました。選手に対しても、監督に対しても、ベルナベウ(会長)に対しても、”道具係”にすらありました・・・それはいつの時代も共通のことです。常に、私は、チームが決して会長や役員会の支援に背いてないと言ってきました。観衆を元気付ける必要があるのは、”若者達”であることを理解していますが、常にベルナベウでは要求が高いレアルマドリード・ファンの皆さんも、この厳しい状況下、チームの側にいるに違いないと理解しています。

我々は、アトレティコ・マドリードを相手にして自分達のスタジアムで2回連続してコパ・デ・エスパーニャで敗れました。(1960年と1961年の決勝)その後、セビリアを下して優勝することができました。(1962年)私のサッカー人生で唯一のコパのタイトルです。致命的だったのは、優勝しましたが、第7回チャンピオンクラブズカップではベンフィカにタイトル獲得を阻まれたことでした。(1962年の決勝)人生でもサッカーでも、常に、ずっと光り輝いている金ではないと言うことです。ですので、逆境の時こそ、選手を応援する必要があります。

この場をお借りして、OB連盟の会長に就いている名誉に対してお礼申し上げます。連盟は、状況に応じて必要な際、選手の未亡人やOBを支援してきています。したがって、OBチームは、必要な資金を確保することを目的として国内の各州や国外で試合を行っています。どこを訪ねても素晴らしい歓迎をいただいています。2006年も皆さんのご健康とご多幸、レアルマドリードの成功を祈念しています。

レアルマドリードは、いかなる時でもチャンピオンを目指すためのチームです。我々の忠実なファンの夢、喜びとサポートがあれば、”若者達”が満足を与えることができるでしょう。心よりお祝い申し上げます。友人である皆さんへ!」

どん底です。メレンゲス。

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何となくヒマだったので、uefaによる選手紹介文を転載。

これ、12月が終わると消されそうなので。

グレゴリー・クペ

生年月日 1972.12.31

オリンピック・リヨン

  • 代表

オーストラリアに0-1で敗れた2001年のFIFAコンフェデレーションズカップで代表デビュー。以来、フランス代表に定着した。2002年のFIFAワールドカップの代表にも選ばれたが、ファビアン・バルテズ、ウルリシュ・ラメに続く第3GKであったため、出場機会はなかった。UEFA EURO2004(TM)予選初戦のキプロス戦に出場。しかし、本大会ではバルテズの控えで出場はできなかった

  • クラブ

1990年、17歳の時にASサンテ・ティエンヌと契約。1994年アンジェSCOを2-0で破った試合でトップチームにデビューした。1997年1月、100万ユーロ(1億3500万円)でオリンピック・リヨンに移籍した。

1997年、人気GKパスカル・オルメタの後継者であったため、当初はリヨンサポーターに受け入れられなかった。しかし、1998-99シーズンにはUEFAカップ1回戦、ブラックバーン・ローヴァーズFC戦でマン・オブ・ザ・マッチに輝き、その後も好プレーを続けてサポーターの信頼を獲得する。1999-2000シーズンの序盤には不振に陥ったが、危機を乗り越えると抜群の安定感を披露。リヨンは初のフランス・リーグ1制覇を達成した2001-02シーズンには、1試合平均1失点未満でシーズンを乗り切った。その後の2年間も、安定したプレーでリヨンのリーグ優勝に貢献した。

2004-2005シーズン:リーグ戦では31試合に出場。シーズンを通して大活躍を続け、リヨンの4年連続のリーグ優勝の原動力となる。UEFAチャンピオンズリーグでは、ひざの負傷でグループリーグの2試合に欠場したが、準々決勝進出に貢献した。

  • 豆知識

今まで最も大切なアドバイスは、フランスの2部リーグGKだった父親から受けたという。「いいGKは叫んで叫んで叫びまくらなければならない」

ペトル・チェフ

生年月日 1982.05.20

チェルシーFC

確実なキャッチングとゴール前の存在感に秀でた守護神。今では世界屈指のGKに挙げられている。

  • 代表

2002年2月のキプロス戦でチェコ代表デビュー。チェコが予想外の優勝を飾った2002年のUEFA U-21欧州選手権では、チームの中心選手として活躍した。大会中に20歳になったチェフは、圧倒的な攻撃力を誇ったフランスとの決勝で失点を許さず、PK戦でも2本のシュートを止めた。UEFA EURO2004(TM)予選でも、評判通りの好プレーを再三披露。チェコはオランダを抑えてグループ3の首位となった。本大会でも、5試合を無失点に抑えるなど、チームの準決勝進出に貢献し、ベストイレブンに選出された。FIFAワールドカップ予選でも正GKの座を堅持した。

  • クラブ

1997年、17の時にFKケメル・ブルジャニーでリーグ戦デビュー。2001-02シーズンに70万ユーロ(約9200万円)の移籍金で、ACスパルタ・プラハに移籍してから、本格的に活躍する。リーグ戦の4試合目に正GKの地位を確立すると、855分無失点という国内新記録を樹立。UEFAチャンピオンズリーグでも、前年覇者のバイエルン・ミュンヘンを完封。その後、第5節まで失点しなかった。

2002年:スパルタに1シーズン在籍した後、推定550万ユーロ(約6億5500万円)の移籍金で7月にフランスのスタッド・レンヌFCに加入。レギュラーとしてほぼ全試合に出場し、チームのリーグ1残留とフランスカップ準々決勝進出に貢献した。

2004-05シーズン:2004年6月、1030万ユーロ(約13億4900万円)の移籍金でチェルシーFCに加入して、5年契約を結ぶと、初年度から活躍。イングランドのプレミアシップとリーグカップ優勝の2冠に輝くと同時にUEFAチャンピオンズリーグでも準決勝へ進出した。リーグ戦では35試合に出場して13失点しか許さないなど、主力選手として活躍した。

  • 豆知識

2001年秋、出場した全試合1120分間ゴールを許さなかった。

ジャンルイジ・ブッフォン

生年月日 1978.01.28

ユヴェントス

成功するチームには優秀なGKが不可欠ということを、イタリアほど理解している国はない。それでも、長年GKは過小評価されていたが、ユベントスが2001年7月、パルマACからイタリア代表GKを世界最高の移籍金で獲得したことで変わった。

  • 代表

1996年UEFA U-21欧州選手権で優勝したイタリア代表の一員。1997年のロシア戦でフル代表デビューを果たし、1998年FIFAワールドカップでは出場機会はなかったが、メンバーに選出された。故障のため、UEFA EURO2000(TM)には不出場。しかし、2002年のワールドカップでは正GKとして、全4試合に出場した。UEFA EURO2004(TM)では予選の全8試合にフル出場しわずか4失点しか許さなかったが、本大会ではグループリーグ敗退した。今も代表の不動の守護神。

  • クラブ

1995年、17歳の時にパルマでデビューし、その後168試合に出場した。1998-99シーズンには、コッパ・イタリア、イタリア・スーパーカップを獲得。UEFAカップでも決勝でオリンピック・マルセイユを3-0で破り、優勝した。2000-01シーズンにはパルマで全試合出場し、その後ユベントスに移籍する。

2001年:5229万ユーロ(約71億6400万円)の移籍金でユベントスへ移籍した。移籍初年度、リーグ戦の全34試合に出場し、リーグ最少の23失点しか許さず、チームを優勝に導く。2002-03シーズンも、リーグ最少失点の活躍で、スクデット獲得に貢献した。またUEFAチャンピオンズリーグでは15試合に出場。決勝でACミランに敗れたが、素晴らしいプレーを披露した。翌シーズンも、チームは優勝に届かず、コッパ・イタリアでも決勝で敗れた。2004年7月、ユベントスとの契約を2009年まで延長した。

2004-2005シーズン:ユベントスが通算28度目のセリエA優勝をする中、1試合に欠場するだけだった。しかし、UEFAチャンピオンズリーグでは、優勝したリバプールFCに準々決勝に敗退した。今季は、開幕前の8月中旬に肩を負傷し、約2ヶ月離脱することになった。

  • 豆知識

2003年、UEFA欧州フットボール・アワードでGKとして初めて最優秀選手に選ばれた。

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長いコメントはここに送れば読むと思うよ。